2007/10/21 礼拝説教
「約束に生きる」 牧師 大村 栄
<全家族礼拝>
ヘブライ書11:32−12:2
◇11章は信仰に生きた人々の記録。「この人たちはすべて、その信仰のゆえに神に認められながらも、約束されたものを手に入れませんでした」(39節)。「約束」とは神様がアブラハム以来の人間に、わたしを信じて従うなら最善に導くと言われた約束だ。どんなに苦しい現実があっても、最後は神が一番良いようにして下さる、簡単に実現する約束ではないけれど、きっといつかはそうなると信じる。
◇信仰に生きた人々は、「約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表した」(13節)。今いる場所は一番いい場所でなくてもいい。はるかに望む「約束されたもの」があるから。たとえそれを手に入れられないで死んでも、「喜びの声をあげ」ることができる。それが「約束に生きる」生き方だ。
◇太宰治の小説『走れメロス』。友の命を担保にして一時帰宅をゆるされたメロス。都に戻る途中で数々の苦難に遭い、「もう無理だ」という気持ちになったが、思い直して友の待つ刑場に走った。「約束を破りそうになったぼくを殴ってくれ」、「きみを疑ったぼくを殴ってくれ」。殴り合ったあと二人はがっちりと抱き合う。それを見ていた王が二人に歩み寄り、「おまえたちは、人を疑うばかりだったわしに、人を信じることを教えてくれた」と言った。
◇約束をするのは人間だけ。動物や植物はしない。だから人間が人間らしく生きるのは、この「約束に生きる」時だ。疑ってでなく、信じて生きること。教会はこの最も豊かな生き方を世界に伝える。教会が大切にする聖書は、約束の言葉だ。「旧約聖書」は古い約束、「新約聖書」は新しい約束。イスラエルの人々は、古い約束を信じ抜けず、目に見えない神を疑い、目に見えるものを神とした。しかしそういう民をも神は見捨てず、むしろ世界全体に期待の枠を拡げ、新しい約束を更新して下さった。そのしるしが主イエス・キリストである。約束は一方的なものではなく、両方で交わし合うもの。人間が守れなくても、神は守り通して下さる。そこに希望がある。
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