2007/11/18 礼拝説教 <ホームカミング礼拝>
「安心して帰れる場所」 相愛教会牧師 真壁 巌先生
申命記7:6−8,ルカ22:31−34
◇教会は「安心して帰れる場所」である。キリストがその中心におられるから、安心して帰れる場所。
◇ルカ22章に描かれる、主の祝福である最後の晩餐は、同時に裏切り予告がなされた場面。この時、弟子達は誰が情けない裏切り者か、逆に誰が一番偉いかと議論した。妬みの思いと共に。弟子達は妬む相手として愛弟子ペトロを意識したであろう。しかしイエスはこのペトロもサタンに負けると予告し(31-32節)、強気のペトロもイエスが逮捕された時、主を否み、弟子の道から落ちた。彼だけでなく後に教会の柱となる使徒全員が信仰を失い、完全に倒れた。
◇ではどうやって彼らは立ち直ったのか?それはイエスが彼らの信仰がなくならないよう祈り抜いたからである。主は顔を背けた彼らを見つめ続けた。「主は振り向いてペトロを見つめられた」(61節)。ペトロが主を見つめたのではなく、主がペトロを見つめ、目で語られた。「お前が立ち直れるよう祈る」。その眼差しに気付きペトロは外に出て激しく泣く(62節)。ペトロだけでなく弟子達皆、自らの過ちを悔やみ苦しんだ。しかし彼ら以上に、主が苦しまれ痛みを負われ、祈り続けられた。彼らが立ち直るために。
◇「このキリストの祈りに支えられている自覚があるか?」と教会は問われている。教会は弱さをもった人間の集まる場所である。悔い改めの熱心さよりも、キリストの執り成しの祈りに取りすがるようにして立つのが教会。自分の力で立ち上がろう、立ち帰ろうとする必要はない。信仰が強くならなければ立ち帰れない場所ではないのだから。貧弱である者に対する神の愛(申命記7:6-8)と主の祈りに支えられ、誰もが安心して立ち帰ることができる場所。ここにこそキリストの教会が形成されている。
◇「あなたが立ち直ったら兄弟達を力づけてやりなさい。」との主の御声に応え、教会は、傍らにあって自分と同じように倒れている兄弟に、慰めの場所「安心して帰れる場所」がいつもあなたに用意されている!と告げるのである。「3度も主を知らないと言ってしまうような貧弱なあなただからこそ、私は祈る!」との主の言葉を響かせること、これが教会の使命である!
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