礼拝説教


2007/12/23  礼拝説教 

「この喜ばしい知らせ」  牧師 大 村  栄

ルカ福音書1:57〜66


◇クリスマス物語はマリアへの受胎告知から始まった(1:26以下)。マリアが一番悩んだのは、結婚前であるということ以上に、神の子を宿すという畏れ多い務めに、よりによって自分が選ばれたということ。その運命を受け入れることへの躊躇だった。しかし天使の告げる神の言葉に動かされ、「お言葉どおり、この身に成りますように」と委ねた。

◇マリアは親類のエリサベトのところへ飛んでいく。彼女も高齢なのに後の洗礼者ヨハネを身ごもっている。エリサベトは「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」(1:45)と言う。神が思いがけない形で人生に介入するのを受け止め、その事態に信頼して身を委ねて生きる人は、「なんと幸いでしょう」という賛美だ。

◇今日の箇所は、そのエリサベトが月満ちて、待ちに待った子供を産んだ記事。その受胎告知はあらかじめ天使から夫の祭司ザカリアに告げられていた(1:5以下)。だがザカリアは天使に「わたしは老人ですし、妻も年をとっています」と拒絶的だった。すると天使は「この喜ばしい知らせ」をあなたは信じなかったから「口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる」と言う。

◇現実の困難が信じることを困難にした。その結果口が閉ざされた。マリアも最初信じなかった。「どうしてそのようなことがありえましょうか」と拒絶した。しかし「神にできないことは何一つない」の言葉に動かされて、信じて委ねる者とされた。

◇高齢のザカリアと若いマリア、この二人に起こった出来事は、状況も方法も違うが共通していることがある。それは神への不信の言葉を封鎖されたということだ。自分の人生への神の介入を拒絶した二人だが、マリアは「神にできないことは何一つない」という約束によってそれ以上拒否を出来なくされ、ザカリアは言葉を発すること自体を禁じられた。

◇しかし誕生が実現した時、「たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた」。私たちもクリスマスにあたり、現実の前にたじろぐ不信仰の言葉が静められて、天使の告げる「喜ばしい知らせ」を信じて賛美する者に変えられたい。

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