礼拝説教


2008/2/3  礼拝説教

「最高の捧げ物」  牧師 大村 栄

フィリピ書4:10〜20


◇フィリピの信徒たちはパウロの投獄を知ると、使者に託して援助の物資を彼に届けた。「18:そちらからの贈り物をエパフロディトから受け取って満ち足りています。それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです」。個人的な感謝の言葉はない。パウロ自身は「12:貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知ってすべも知っています」。信徒が援助の品々を<進んで捧げる>ことを通して「17:あなたがたの益となる豊かな実」が神から与えられるのを「望んでいる」と言うのだ。

◇パン五つと魚二匹とを持っている少年が、それらを<進んで捧げる>ことによって、皆が満腹するという奇跡が起こった(ヨハネ6:1-5)。富の偏在に苦悩する世界に与えられた希望であると言えよう。「誰かが自分のパンを自分のためにだけ取っておこうとするときに、初めて飢えが始まる。これは不思議な神の掟である」(ボンヘッファー)。

◇フィリピの信徒たちが、パウロを通して進んで神に捧げる贈り物は、「18:香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです」。ローマ書12:1では「自分の体を神に喜ばれる、聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」と勧めている。神への感謝と賛美、信仰と愛の生活、そういう礼拝的な生活をすることによって、自分自身を献げて生きること、これが「神に喜ばれる霊的ないけにえ」である。

◇それに対する神の評価は私たちの思いを越えて、「19:御自分の栄光の富に応じて」、神ご自身の基準によってのみ行われる。だから私たちは自分に与えられた賜物を誇ったり、卑下したりせず、神からの豊かな賜物であることを感謝しつつ、これを自分自身のためだけに所有し、使うのでなく他者のために、特にそれを必要とする人々のために、フィリピの信徒たちのように愛をもって<進んで捧げる>ものでありたい。

◇そういう、進んで捧げることのできる者と変えられた自分自身を、「神に喜ばれる、聖なる生けるいけにえ」として、「香ばしい香り」として神に献げよう。神はそれを期待し、待っていて下さる。 


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