2008/5/11 聖霊降臨祭礼拝
「わたしの平和を与える」 牧師 大村 栄
ヨハネ福音書14:15−27
◇五旬祭(ペンテコステ)の日、弟子達は失意を抱えて集まっていた。「一同が一つになって集まっていた」(使徒言行録2:1)とは、十字架のイエスを見捨てた彼らのみじめさのどん底における一致だった。ここに神の力の聖霊が注がれ、彼らは神の言葉を語り出した。これが世界に教会が誕生した日である。
◇主イエスは事前にこの聖霊を下さるとの約束をされた。「あなたがたは、わたしを愛しているならばわたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」(14:15-16)。主を愛し主に従う者ならば「守る」(「守れ」ではない)と言われる「わたしの掟」とは、「最期の晩餐」の席で弟子たちの足を洗った主が言われた掟である。「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(13:34)。
◇しかし、私たちは主を愛することも、互いに愛し合うことも出来にくい。愛すると言いながら傷つけ合う愚かな私たちだが、主はこれを見捨てず、「弁護者」(パラクレートス、傍らに立つ者、口語訳では「助け主」)なる聖霊を送って下さると言う。預言者エゼキエルがバビロンの谷で見させられた「枯れた骨」のように、潤いを失ったとげとげしい社会と人生を生きる者たちに、神の息が吹き込まれるといのちが取り戻される(エゼキエル書37:6)。
◇「わたしはあなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る」(14:18)。骨まで渇くような寂寥感の中で信仰から遠ざかりそうな時も、聖霊の息吹が吹き込まれ、「わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる」(14:26)。そうやって信仰と愛への復興を起こすこと、それが聖霊の働きである。
◇「我が力は弱くともし、暗きにさまよい、道になやむ。あまつ風を送りたまえさらば愛の火は内にぞ燃えん」(讃美歌333の3節)。聖霊に満たされた状態を「平和」シャロームと呼ぶ。「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない」(14:27)。ここに平安と勇気がある。聖霊の息吹の中で誕生した教会の力の源泉に立ち帰りつつ、これからの歩みを続けていきたい。
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