2008/5/25 聖霊降臨節第3主日
「信じる者はあわてない」 牧師 大村 栄
ローマ書10:5−13
◆今日は阿佐ヶ谷教会の属する日本基督教団西東京教区の定期総会が午後に行われる。日本基督教団とは「日本基督教団信仰告白」を唱える群れである。その内容を自分の信仰として「信じます」と告白して、私たちはこの教会の信徒となると同時に、日本基督教団の信徒(現在約20万人)の一員となる。
◆「10:実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです」。心の中で信じているだけでは駄目なのか。言葉で説明できなくても霊的体験が尊い、言葉で告白するより行動だ、そう言っていると信仰はその本質を失う。キリスト教信仰はもっと共同体的な出来事であり、教会は歴史的な存在である。そのことを私たちに自覚させるのが「日本基督教団信仰告白」という文章であり、私たちはこれを繰り返し「信じて告白する」ことによって、信仰の本質を体得していく。
◆その本質とは、「9:口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させたと信じるなら、あなたは救われる」。キリストの十字架と復活を信じることがキリスト教信仰の中核である。「教団信仰告白」も特にその後段の「使徒信条」においてそのことを告げる。このキリストのみわざ、それを通して示された神の意志が、私の命に関わる大切な事柄であると、心に信じて口で告白するようになれば救われるというのだ。
◆「6:心の中で『だれが天に上るか』と言ってはならない」。「7:『だれが底なしの淵に下るか』と言ってもならない」。これらはキリストの十字架と復活を疑い、それを実行された神の力を否定することだ。復活や昇天などは無視して、無理なく信じられるところだけを信じようとするなら、神のみわざを自分の器に合わせて小さくしてしまう。それは間違いである以上に残念なことだ。
◆「11:主を信じる者は、だれも失望することがない」はイザヤ書28:16(「信ずる者は慌てることはない」)の引用。キリストの十字架と復活を信じる信仰に立つ者は、岩の上に立てられた家に似て堅固で揺らがない。愛する者との死別、自分自身の死の予感にも慌てず、未来に希望を見出すことが出来る。そのような信仰に支えられる生涯を送りつつ、この「信仰告白」を共にすることにおいて一つの教会、教区、教団を形成して、この地の伝道に仕えたい。
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