2008/8/17 聖霊降臨節第15主日
「あなたを仰ぎ見ます」 伝道師 姜 キョンミ
ヨブ記42:1−6
◇「あなたのことを、耳にしてはおりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し、自分を退け、悔い改めます」。苦しみに悩み続けているヨブが、ついにたどり着いた信仰の境地がつづられています。悔い改めます、と告白されていますが、神の言葉をかみしめ、視界をさえぎっていた霧が振り払われて、神を仰ぎ見ることがゆるされたヨブが、ここにいます。
◇突然降りかかった災いと苦難に戸惑いながら、ヨブが神に問うたのは、なぜ自分が苦しみにあるのか、ということでありました。ついに、神が口をお開きになります。しかし、神の答えは、ご自身の創造の御業の不思議であります。神は災いの理由、苦しみの理由に、まったく関心を示しておられないかのようです。それにたいして直接的に何も答えてくださらなかったのでありました。しかし、この神の言葉をヨブは噛みしめることとなります。そして、神に答えてヨブが語った言葉が、42章であります。
◇ヨブはそれまで自分に関心を持ち、自分自身を正当化する必要性に気を奪われていました。しかし、ここで彼は、神を仰ぎ見、問題の次元あるいは方向を変えられたのであります。この方向の転換がヨブの悔い改めであります。彼は神を見ます。それゆえ、彼は自分が塵と灰にすぎないことを知らされるのであります。人間が神の被造物であり、神が永遠にわたしの神であることを、ヨブは悟ったのであります。神様が見ていてくださる。神が造り主であられ、その計りがたい御旨をもって、神は見ていてくださる、自分は神さまに知られていた、ヨブは、その神を仰ぎ見ることができたのでした。
◇ヨブ記は次のことを私たちに教えてくれます。神に問う者であったわたしたちが、神に問われる者となるということであります。そのような仕方で神は私たちに答えてくださるということです。私たちが問いに納得するためではありません。合点がいかない、その私たちを、神さまが知っていてくだって、計りがたい御旨のうちに見ていてくださり、私たちに呼びかけ、わたしたちが神さまに応答するものとなるように、神はわたしたちに問いを投げかけてくださっているということであります。塵と灰にすぎないわたしたちは、神に応答するものとされているのであります。
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