2008/8/24 聖霊降臨節第16主日
「主の平和に生きる」 堤岩教会牧師 姜 信範先生
エフェソ2:13−18
◇神がアダムに発した質問は「どこにいるのか」。しかし彼はこれに応えず、身を隠した。ヨナはニネベに行きなさいと言われたが、行かないで逃げた。私たちは神が私に何を望んでいるかを知り、神がこのように行きなさいと示された道を歩むべきだ。
◇神は私たちに、神を愛し隣人を愛して生きることを望まれる。神と人との間にあった隔ての壁は主イエスが壊して下さった。隣人との間にも壁があるなら、まずそれを除くべきだ。「まず兄弟と仲直りをしてから礼拝を捧げなさい」(マタイ5:24)。十字架の形に示されるように、神様と私との垂直の関係を正してから隣人との関係に出て行く。十字架の精神を生きるのが信仰生活だ。これを生きる時に、愛、平和、和解を共有することができる。
◇私は29年間チェアム教会の牧会をしながら、日韓の歴史にある痛みを学んできた。この歴史の中にある障害物を除く働きをしたい。神はダビデを「私の心にかなう者」と呼ばれた。チェアム教会の標語は「神の御心に適う者なろう」。神はお造りになった世界を見て「良かった」と言われた(創世記1:31)。そのような姿で人生を歩みたい。外見を見ないで中心を見る神の前に、御心に適わないところを直しながら生きるべき。どんなにスピードが出る車でもブレーキが効かなければだめだ。信仰生活も、走るだけでなく時々ブレーキをかけて停まり、主が私に何を語っておられるかを考えよう。
◇カインは弟アベルを殺し、弟の居場所を知らないと答えたが、神は「お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる」(創世記4:10)と言う。隠されているもので、いつか明らかにならないものはない。クリスチャンの人生はいつ見られても恥じるところのないものでなくてはならない。
◇まことの礼拝は、祝祷が終わって外に出て行くところから始まる。「わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです」(?テモテ4:7-8)。パウロのように最後に笑って人生を終わる人が人生の勝利者だ。キリストは神の言葉に従ってこの世に来て、神と人との壁を壊して私たちを救いに入れて下さった。この関係を覚え、先に選び出された我々が、みことばに生きることによって、世界は神の国となるのである。
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