礼拝説教


2008/8/31  聖霊降臨節第17主日

       「地上を旅する日々」 牧師 大村  栄

ペトロ一 2:11−25 


◇パウロは異邦人に伝道し、ペトロはローマの奴隷たちに伝道したと言われる。地上の困難に生きる人々に、「12:異教徒の間で立派に生活しなさい。そうすれば、彼らはあなたがたを悪人呼ばわりしてはいても、あなたがたの立派な行いをよく見て、訪れの日に神をあがめるようになります」と告げる。真の神を知らない「異教徒」の間で、神を恐れ敬う者として誠実に生きよと命じる。やがて「訪れの日」がやって来る。僕たちにタラントンを預けて旅に出た主人が帰って来る日(マタイ25章)のようだ。その日を信じて忍耐し、「待ちつつ、急ぎつつ」(ブルームハルト)生きるのがキリスト者である。

◇「13:主のために、すべて人間の立てた制度に従いなさい」。地上の権威への服従を命じるが、それは「主のために」である。パウロも言う、「今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです」(ローマ書13:1)。神はあらゆる権威に優位し、しかしそれを用いて自らの栄光を現そうとされる。

◇「16:自由な人として生活しなさい」。本当の権威を知って服従する生き方は、他の何者にも束縛されない本当の自由を生きることだ。「キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な君主であって、何人にも従属しない。キリスト者はすべてのものに奉仕する僕であって、何人にも従属する」(ルター『キリスト者の自由』)。キリスト者はただ神の僕として、神の立てたもう世の秩序の中で、神の「訪れの日」を待ちながら誠実に生きるのである。

◇「19:不当な苦しみを受けること」もあるが、「21:キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残された」。主は「23:ののしられてもののしり返さず、・・・・正しくお裁きになる方にお任せになりました」。それゆえの究極的平安を主は生きられた。しかし私たちは弱く、ののしられたらののしり返したくなる。その弱さを聖書は「罪」と呼ぶ。主の苦しみは私たちの「模範」である以上に、その模範通りに生きられない私たちの罪を帳消しにするためのものであった。

◇「なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです」(フィリピ3:13-14)。

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