礼拝説教


2008/10/5  世界聖餐日・世界宣教の日

       「谷のどよめき」ケニア派遣宣教師 市橋 隆雄 先生

エゼキエル書 37:1−10


◆紀元前6世紀の終わり、主の手に捕まれ谷に降ろされ、枯れた骨を見させられたエゼキエル。私もまた谷に降ろされ、累々とした骨を見させられた。東アフリカを縦断する谷に沿い、各地で内戦・干ばつ・飢餓・貧困・病・災害がある。「枯れた骨」は死人の骨だけを指すのではない。箴言に魂の憂いは骨を枯らすとある。嘆き悲しみをもって生きる人々、「枯れた骨」。しかも「甚だしく」枯れていたとは、それだけ深い憂い。その現実を見させられた私は、「何をすれば」でなく「誰のために」を問われた。人も教会も他者のために存在する時、初めて「キリスト者」と言える。

◆エゼキエルは枯れた骨を見させられ神に問われる、「これらの骨は生き返ることができるか」。問題の解決や事態の改善のため、より良い環境を私たちは整えたいと思う。恐らくそれは必要、だがエデンの園でさえ人は罪を犯し、科学技術大国では自殺者が多い。エゼキエルの答え、「主よ、あなたのみがご存じです」。死という動かし難い現実を前に、自分の無力・非力を告白する。骨を枯らす死の勝利、憂いに突き落とす現実の勝利を、認めざるを得ない。だがそれだけでない。私たちは非力だが、「主よ、あなたのみが」、あなたならきっと。エゼキエルと共にそう告白する。神はエゼキエルに枯れた骨が生き返る唯一の方法を示された。神ご自身が霊を、息を吹き込むという。私たちの希望は私たちの作り上げた文化・伝統の中にではなく、神ご自身が命を注ぐ奇跡の中にある。

◆死の支配する世界には音がない。虐殺後の現場は静まりかえっていた。しかしその谷に、カタカタと音がし始める。骨と骨が近づき筋と肉が生じ、皮膚に覆われ、生きた人間が回復する。それらの人々が大きな集団となる。神の息によって新しく創り変えられた群れ・共同体の音、谷のどよめきだ。

◆今具体的な働きをする現場では子どもたちを相手に先生たちが日々奮闘している。どんな状況にあっても押し潰されぬよう、「それでも人生にイエスと言おう」(フランクル)という思いで子ども達に関わる。先生たちを通してキリストの息が吹きかけられ、子どもたちが変わっていく。生きることの感謝と喜びに、谷が鳴りどよめく日が来ると信じている。

◆日本にも谷があり、枯れた骨がある。それは私たちにとっての「機会」。主イエスがとらえたのと同じ、人に仕える機会だ。私たちを通して主ご自身が、その支配を今ここで現していく。谷のどよめきを遙かに聞きつつ歩む。

(C) Asagaya Church, United Church of Christ in Japan, asagaya-church.com