礼拝説教


2008/11/16 降誕前第八主日

       「神の言葉の実力」

牧師 大村  栄

申命記18:15〜22


◇申命記はモーセによって書かれた律法であるが、紀元前7世紀、ユダの王ヨシヤが宗教改革と国家統一にこれを用いようとした。イスラエルの民は神の言葉をとりつぐ「預言者」を求め、神はそれを認可した。「19:彼(預言者)がわたし(神)の名によってわたしの言葉を語るのに、聞き従わない者があるならば、わたしはその責任を追及する」。しかし、もし、「20:その預言者がわたしの命じていないことを、勝手にわたしの名によって語るならば、その預言者は死なねばならない」。勝手なことを語る預言者は放っておいても、いずれ消えていくのだ。

◇しかし神の言葉が真実であるかどうかの証明は、それを語る者のちっぽけな生涯によってでなく、神の言葉自体によってもっと明確に実証される。「22:預言者が主の御名によって語っても、そのことが起こらず、実現しなければ、それは主が語られたものではない」。神の言葉が偽りならば、何も起こらないだろう。逆に言うと神の言葉は、その語られる内容自体が実現することによって、それがまさしく主の言葉、神の言葉であることの力を発揮する。

◇先週、三宅彰さん(83歳)の葬儀を行った。三宅さんはご家族の見守る中で静かに、先に召された奥様のおられる天に帰られた。「わたしは荒野を見たことがない。わたしは海を見たこともない。でもヒースがどんなものか、波がきっとどんなものか知っている。わたしは神と話したことがない。わたしは天国へ行ったこともない。でもそれがどこにあるのか知っている。まるで地図をもらってあるように。」(E・ディキンスン「天国」小塩とし子訳)。「天国の地図」である聖書。これを知った人は与えられた人生に信頼と平安を持って臨むことができる。そこに「神の言葉の実力」が発揮される。

◇ヨシヤ王は国家統一のために、神の言葉を用いようとして失敗した。神の言葉の実力は、それを人間の願いを達成するために利用する時に発揮されるのではない。その言葉を信じて委ね、従う時に、私たちは地上の願いや計画をはるかに超えた「天国の地図」を得るような未来への希望が与えられる。「あなたの御言葉は、わたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯」(詩編119:105)。彼方を照らす「道の光」は、日々の歩みの足下を「照らす灯」ともなる。詩編の歌うこのような賛美を生きる者でありたい。

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