礼拝説教


2008/11/23 ホームカミング礼拝

       「必要なこと」

名誉牧師 大宮チエ子

詩編119:105-112,ルカ福音書10:38-42


◇教会は「神の家」と呼ばれる。神が居られ、また私達が帰るべき所。礼拝や諸集会は、神の許に帰る時、神による平安と喜び、希望と力を頂く時だ。私達は神より出て神に帰るものであり、神に立ち帰ることにより真の平安と憩いを得ることが出来る。

◇讃美歌517番「かえれや、わが家に」を作詞したアメリカの女性アルスタイン(1820〜1915)は、生後まもなく失明、盲学校を卒業後、母校の教師をしていた時に信仰を与えられ、6千以上の讃美歌を作ったといわれる(489番他)。生と死を貫いて与えられる、神と共にある平安と喜びと希望が示されている。

◇「マルタとマリア」の記事も真の平安と喜び、神と共にある生活に「必要なこと」「なくてはならぬもの」を教えている。ベタニア村のマルタ、マリア、ラザロの家に主イエスは折々立ち寄られた。マルタはいつもかいがいしく親切で、よく働く、頼もしい女性であったと思われる。主に喜んで頂くため、できる限りのもてなしをしようとした。

◇マルタはこの記事のすぐ前にある「善いサマリア人」のように、主イエスの教えに忠実な、よい働き人として仕えていたように思われる。しかし主イエスはマリアこそ「良い方を選んだ」とほめられた。主の足もとに座りこみ、話に聞き入っていたマリアから「それを取り上げてはならない」、止めさせてはならないと言い、「無くてはならぬもの」(口語訳)は多くはないと教えられた。第一に求めなければならない、必要不可欠なもの、最高の業は、神の御言葉をしっかりと聞くことである。

◇マルタは自分の働きに夢中になる余り、一緒に働こうとしない妹への不満をつのらせ、更にそれを注意されない主イエスへの不満も抱いた(40節)。これに対し主イエスは静かにきっぱりと諭された。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している」。フェルメールは主イエスを中心に、二人の姉妹を対照的に、印象深く描く。

◇詩編119編は176節もある長い詩編。繰り返し御言葉の恵みとすばらしさを伝える。特に105節〜112節、御言葉は「わたしの道の光」「歩みを照らす灯」「私の嗣業」「心の喜び」(105,111節)…御言葉は教会を導く灯、道の光。又私達一人一人の最も大切な導きの光であり、土台である。教会に帰ることによって御言葉に立返り、御言葉によって、教会に帰ることが出来る。

◇阿佐ヶ谷教会には幾つか御言葉の書が掲げられている。優れた信仰の書家達による額だが、祈祷室の「平安」の書は多くの苦難や悲しみの中で御言葉に慰めと力を頂き、主にある平安を歩んだ方の作品。私達も本当に必要な、なくてはならぬ御言葉に生かされていることを感謝し、御言葉の光を頂いて歩む者でありたい。

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