2009/3/22 受難節第4主日礼拝
「わたしの恵みはあなたに十分である」
伝道師 北中 晶子
IIコリント12:6−10
◇「わたしの恵みはあなたに十分である」。この言葉が私たちに語られているのは、私たちが「恵まれている」からでは決してない。衣食住が満たされ、安全が確保されていることを、「これこそ神の恵み」と思うならば、私たちの認識は不十分である。生活の満ち足り方は人によって異なり、決して一様でないにも関わらず、キリストのこの言葉はすべての人に語られている。今この言葉によって立ち止まり、神の恵みとは何かと考えたい。
◇使徒パウロは何か大きな体の不都合を与えられていた。どうしてもそれを取り除いてほしいという神への祈りは、キリストのこの言葉で答えられた。端的に言えばパウロの望みは適わなかったが、それによってまったく新しいこと、私たちには到底思いもつかないことが現実に示された。それは、「正しい人を招くためではなく罪びとを招くために来た」というキリストの恵みである。強い人や素晴らしい人は確かにいようが、私たちのうち多くが自覚する弱い者・苦しい者もいる限り、私はそこにこそ目をむけ、恵みを満たすと主は言われる。
「強さは弱さの中でこそ十分に発揮される」とは、神の強さが私たちの弱さの中で完成するという驚くべきことを語っている。自己完結するのではなく、私が強いのはあなたのためだと言われる神の強さは、愛の強さに他ならない。十字架と復活のキリストに示されたこの恵みは、いついかなる時も私たちに十分であり、少しの不足もなく惜しみなく与えられている。
◇だからこそパウロは「私は弱いときにこそ強い」と言う。私たちはこの言葉に再び立ち止まり、私たちの「弱さ」「強さ」について考えることができる。ある人は自国の軍事力や経済力を指して「これらの力は私たちの強さでなく、弱点である」と語った。私たちもまたこれに倣って告白することができる。歴史・人数・財力・伝統を豊かに備えられた教会は、それらをこそ弱点として告白しなくてはならない。教会の強さとはキリストの恵みをおいて他にないのだから。
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