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2009/4/12 復活日礼拝
「復活−愛の勝利」
牧師 大村 栄
マタイ福音書28:1−10
◇ユダヤの権力者たちはイエスを処刑しただけではまだ心配だった。弟子たちが墓を掘り返して死体を盗み出し、「イエスは死者の中から復活した」(27:64)などと世間を惑わすかも知れない。ユダヤ人の番兵が見張りに立つことになった。
◇日曜の早朝、女たちが墓を見に行ったが、そこで驚くべきことが起こった。「大きな地震」や「主の天使」などは象徴的描写だろう。大事なのは墓が空になっていたということ自体だ。厳重に監視していた番兵たちはそれゆえに「恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった」のである。
◇しかし女たちは天使の言葉によって恐れを乗り越えた。「6:あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり復活なさったのだ」。彼女たちは生前の主の言葉を思い出したから、「8:恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った」。
◇するとその時、「9:イエスが行く手に立っていて、『おはよう』と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した」。この「おはよう」は新共同訳が口語訳に比べて格調がないと批判された箇所のひとつである。口語訳は「平安あれ」だった。しかしここは日常的な挨拶の言葉なのだ。絶望の中にも主の言葉を思い起こし、信じて立ち上がった者に、復活の主イエスが出会って下さり、その日常に伴って下さる。
◇源義経の伝説のように「英雄は不滅だ」と考えたい傾向がある。権力者らは弟子たちがそう言って社会を混乱させようとしていると考えた。しかし弟子たちが本当に立ち上がったのは、そして代々の教会が伝えてきたのは、「キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと」(?コリント15:3-4)である。
◇私たちは死ななかった不滅の英雄ではなく、死んだイエスを仰ぐ。死と復活によってのみ、人間の可能性が途絶えたところに神による新しい可能性が開かれたのである。「おはよう」と朝日の中で呼びかけたもう復活の主との出会いを通して、生死を超えて続く神の愛の世界に生きよう。
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