2009/4/26 復活節第3主日
「いのちを捨てる愛」
伝道師 五十嵐 成見
ヨハネ福音書10:11−18
◇ 私達が日々暮らす世界は、一つになりたいと願う私達を、ばらばらに散らそうとする狼の心の世界だ。働く場を壊し、社会を混乱させる世界、しかしその社会の罪の根というのは、私たちのうちにひそむ根ではないか。相手の人格を奪いたくなるような傲慢な心にとらわれる。自分の思い通りにいかないといって相手を責める。私達の心にすむ狼は、私たちを相手から遠ざけたり、散らしたりする。しかしそれは他人に対してだけではなく、自分に対してもそうではないか。理想の自分が素の自分であることを受け入れられずに、自分で自分を責め立て、自分で自分を散らしてしまう。よき羊飼いのいない世界、囲いの外の世界、よき羊飼いのいない心は、私たちをいつでも隣人から、自分から、遠ざけ、ばらばらにさせる。
◇「よき羊飼い」であられる、私達の主イエスは、ばらばらにさせようとする狼から私たち羊を守る。私たちの前に立って「正しい道」(詩編23編)に導いてくださる。その正しさは、「美しさを伴った正しさ」(よい羊飼いの「良い」は、正しい、美しい、と訳せる)だ。寄り添っていたい安らぎに満ちた気品のある良さ、正しさに満ち溢れた方が主イエスである。私たちが、主イエスによって導かれている道は、主イエスの美しさの伴った正しい道である。
◇11節「よい羊飼いは、羊のために命を捨てる。」「いのち」とは、自分にとって、なくてはならないもの、それがなければ、まさに自分のいのちが支えられないとまで思うほどのもの。それを、主イエスは、私たちのために、神の子のいのちそのものを投げ出された。なぜご自分のいのちを十字架に上でお捨てにならなければならなかったのか。それは、私たちが、真に、美しさを伴った正しさに生き得るようになるためだ。自分勝手な正しさを振りかざして生きるのではない。一つの群れとして、互いに愛し赦しあう「いのち」に生きるためだ。私達は、ばらばらではなく、主イエスによって、主イエスと共に、一つになる道を歩むことができる。
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