礼拝説教
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2009/5/24 復活節第7主日 

       「贖う方」

副牧師 姜キョンミ

ヨブ記19:23−27


◇ なぜ人はこの世で苦しみ、悩まなければならないのか。しかもなぜ、何の理由もなく悲惨なことが身に起こることがあるのか。このような人生にはたして意味などあるのか。この世界そのものが不条理にできていて、正義なる神などいないのではないか。ヨブ記はまさにこの問題を正面から取り上げ、解答を求めています。

◇ヨブは妻を除く愛する家族と財産を失い、見舞いに来ていた友達からも見放され、すべてを失いました。ヨブは友人の激しい批判と敵対する言葉に必死に反論するヨブがその苦しみの中からの主張が今日の聖書の言葉です。ヨブは奈落の底からついに救い主なる神を仰ぎ見たのでありました。

◇苦しみに遭う前、そもそもヨブは神様のみ光の中にいました。神様はヨブに溢れるばかりの祝福を与え、ヨブも神様の愛に応えて、信頼と服従の生活をしていたのです。しかし、突如としてすべての祝福が奪い去られヨブは奈落の底に突き落とされてしまったのであります。その奈落の底の真っ暗闇の中で、必死になって神を捜し求めてきたのです。なぜ、神は私を世に生まれさせたのか。なぜ、神は罪もない人間をこのように罰せられるのか。神の裁きは本当に正しいのか。このように神に必死なる叫びをあげながら祈ってきました。そして、ついに「わたしは知っている、わたしをあがなう方は生きておられる。わたしの救い主は生きておられるのだ」との、告白へと至るのです。ヨブの暗闇の中に、神の救いの光が再びきらりと輝いた瞬間でした。

◇わたしは知っている。わたしをあがなう者は生きておられる。それは後の世に必ず来て、その神の前にわたしは仰ぎみることができるのだと。神をわたしの味方としてみたい。わたしの見る者はこれ以外のものではない。わたしの心はこれを望んでおられる。わたしの見る者はこの贖うお方以外にはないのだ。わたしの見るべきお方は、このお方なのだ。わたしはこのお方に必ず会うことができる。これがヨブがこの苦難のなかで、その極限の状況において、彼が告白した信仰です。
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