2009/5/31 聖霊降臨日礼拝
「教会の誕生日」
牧師 大村 栄
ヨエル書2:23〜3:5
◇五旬祭(ペンテコステ)の日に「一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」(使徒2:4)。これをいぶかる人々に対してペトロが訴えた。彼らは「酒に酔っているのではありません。これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです」(同2:16)。そして引用したのが今日のテキスト、ヨエル書3:1-5。
◇ヨエル書はバビロン補囚後頃の預言。当時大規模な「いなご」の災害があり、人々はそれを見て世の終わりを予感した。2:1の小見出しは「主の怒りの日」。続く2:12以下は「主の慈しみ」。罪を悔い改めれば主は思い直して救って下さると信じた。
◇「主の怒りの日」に神の裁きは全世界に及ぶ。しかしその前にイスラエルだけは悔い改めて救われる。「27:イスラエルのうちにわたしがいることを、お前たちは知るようになる。…わたしの民は、とこしえに恥を受けることはない」。諸外国は滅ぼされるが、我らだけは神によって救われる。そういう悪く言えば独善的、排他的な思想がずっとイスラエルの選民意識を支えてきた。現代のパレスチナ問題の根源とも言わざるを得ない。
◇書かれた時点では民族主義の枠を越えていなかったヨエル書だが、ペンテコステの日にペトロが引用して口にしたとき、それはすべての人に等しく聖霊が降される時代の到来を告げたのである。「その後、わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言し、老人は夢を見、若者は幻を見る」(ヨエル書3:1)。
◇人類全体が罪のために滅びの道へと向かっている。「5:シオンの山、エルサレムには逃れ場があ」るのではない。地上のどこにも救いはない。しかし「5b:主の御名を呼ぶ者は皆、救われる」。真の神を礼拝する者は民族や国籍を超えて、「皆、救われる」。「5b:主が呼ばれる残りの者はそこにいる」という「そこ」は、都としてのエルサレムではなく、聖霊の働きに身を委ねて神のご用に用いられる者の群、教会を指す。そしてこの教会から全世界に救いが拡大していくことを神は期待しておられる。今日はその「教会の誕生日」なのだ。
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