2009/9/20 聖霊降臨節第16主日礼拝
「主を待ち望め」
名誉牧師 大宮 チヱ子
詩編27:7〜14
◇ 今年度の教会標語の下に、昨日から行われている「教会全体修養会」を覚えながら、同じ詩編の後半を学び、信仰の喜びを共にしたい。150の詩が収められている詩編には、2節〜5節で終わる短い詩が11編もある一方、176節の長い詩(119)もある。詩の長さは異なるが、どの詩人も、神を仰ぎ、神に向かって、心を注ぎ出し、助けを求めて訴え、神の導きと恵みへの感謝、信頼と讃美を捧げている。
◇27編の詩人は、強力な敵に囲まれ、おびやかされ、おののき恐れていた。しかし、その只中で、目を転じ、心の向きを変えて、救いの光、命の砦である主なる神を仰ぎ、讃美している(6節)。
主に信頼し、主と共にある時に与えられる、確信と平安が示されている。
◇それ故、この詩人は、「主よ、呼び求めるわたしの声を聞き、憐れんで、わたしに答えてください」と切実に、神に訴え、求めている。7節以下を別の詩編と理解する人もある。
しかし、神の御名を呼び、神に訴え続けることが出来るのは、神を信じ、神の努力と共に、神の愛と憐れみを堅く信じているからである。
◇ この詩には、揺れ動く、弱い人間の姿と共に変わることのない、神の恵みと愛がうたわれている。神への信仰と信頼の故に、「主は必ずわたしを引き寄せてくださいます」(10節)と確信することができた。「引き寄せる」という言葉は「集める」とも訳せる。神は、神に背を向け、離れ去ろうとする私達の罪を赦し、その弱さと不信仰を御存知でありながら、神の許へと引き寄せ、集めて下さる方、真の「救いの神」(9節)である。この「主の恵みを見る」(13節)は祝福を確信し、「雄々しく」、「心を強く」(14節)して、「主を待ち望め」と繰り返している。
◇私共は、しばしば、気落ちし、心弱り、あきらめて、主の御名を呼ぶことを忘れ、主を信じて待ち望むことをせず、主に背を向けて、主から離れてしまうがちである。
しかし、この詩人は、私共を見離すことなく招き続け、最善に導いて下さる神を信じ、神の御顔を仰ぎ、訴え、祈り続けている。日々、御言葉の慰めと導きを頂き、主を待ち望み、心を強くされて、信仰の歩みを続けよう。
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