礼拝説教


2009/11/8 降誕前第7主日礼拝 

       「復活を信じる」

牧師 大村 栄 

マルコ福音書12:18〜27


◇「18:復活はないと言っているサドカイ派の人々が、イエスのところへ来て尋ねた」。長男の嫁だった女が夫の死後、次男三男と再婚を繰り返し、そのつど相手が死に七男まで死んだあと嫁自身も死んだ。「23:復活の時、彼らが復活すると、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです」。極端な例を上げた意地の悪い質問だ。

◇人間の死後に「復活」があるなら 、夫婦関係を始め、様々な生前の生活様式は、その時どのように回復するのか。そもそも身体は死後に火葬してしまうのに、使徒信条で告白する「身体のよみがえりを信ず」とはどういうことなのか。

◇それは、死んだ肉体が物質的に再生することではなく、肉体の宿命的に抱える様々な問題や限界が克服されるということなのだ。肉体は死んでも、その先に新しい命がある。それがキリストの復活によって可能となったのである。「死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられ」(Ⅰコリント15:20)たキリストの復活を信じるのがキリスト教だ。そして最初の使徒たちに始まって、今も教会は復活の主との出会いを証言する者の群である。

◇人間の復活について、さらに主は言われる、「26:『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか」。祖父のアブラハム、父イサク、子ヤコブは三代同時に地上に存在したことはない。しかし神は同時にその三者の神であると言う。しかも「27:神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ」。肉体的に「死んだ者」たちも、神の元では「生きている」のだ。

◇「ハイデルベルク信仰問答」に、「生きている時も死ぬ時も、あなたのただ一つの慰めは何ですか」。答「私が、身も魂も、生きている時も、死ぬ時も、私のものではなく、私の真実なる救い主イエス・キリストのものであることであります」とある。

◇肉体的に死なないのではない。しかし生きる時も死ぬ時もかわりなく、この命が神とキリストのものであるという確信。それによってどんな絶望や空しさにも、平安と希望をもって生きることが出来る。これが復活を信じる信仰のダイナミズムである。

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