2009/12/20 降誕祭礼拝
「明日を待つ信仰」
大村 栄 牧師
Iテサロニケ5:1〜11
◇今年は日本にプロテスタント伝道が開始されて150年。この間多くの宣教師やその家族の命が捧げられ、多くの命を活かし用いてキリストの福音は伝道された。その原点はマリアへの受胎告知にある。
マリアの驚きはどれ程のものだったか。結婚前の妊娠ということ以上に、神の子を宿すという偉大な務めに自分が選ばれたことへの驚きと恐れだ。
◇神はしばしば困難な課題を人に与えられる。箱舟を造れと命じられたノア、行き先も知らずに出発させられたアブラハム、出エジプトの指導者に任じられたモーセ、主イエスに召されて網を捨てて従った弟子たちなど。これら聖書の人々を見るにつけ、信仰生活とは、「神の召しに応えること」だと思える。「召し」は英語でCalling、ドイツ語でBeruf。M・ウェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』において、それが近代資本主義を精神的に支えた職業観、人生観だったと論じた。
◇46節以下のマリヤの讃歌は、彼女が産む子において成就する偉大なる神の御業を讃えている。そしてその偉大なる出来事に、自分自身が用いられることへの畏れと感謝を歌っている。自分を誇ったり讃えたりしているのではない。私たちは神が私たちを用いて偉大なわざ(御業)をなして下さることを誇るべきだ。「誇る者は主を誇れ」(IIコリント10:17)。
◇「わたしの魂は主をあがめる」の「崇める」のラテン語から、マリアの賛歌はマグニフィカートと呼ばれる。マグは大きさを表す語。自分において神を大きくして自分は小さくなる。そうやって生きる時に人は大きなものに包まれ、導かれ、支えられて意義ある命を生きる者となる。そのような生き方の原点を、マリアの出来事に見ることができる。
◇マリアに始まり、その後も福音は使徒たちや初代教会の人々を動かして地中海地方に伝わり、やがて世界に拡がった。その間に多くの人々を伝道者として用い、証し人として立て、そこに神は御業を現された。そして今も神は私たちを主のご用のために召しておられる。Callingだ。そのような生き方をクリスマスに、主イエス・キリストによって始めて下さった神に、心から感謝と賛美を捧げたい。
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