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2010/3/7 受難節第3主日礼拝
「イエスとは誰か」
牧師 大村 栄
マルコ福音書8:27〜33
◇フィリポ・カイサリアで主は「29:あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と問い、ペトロが「あなたは、メシアです」と答えた。マタイ福音書ではこの信仰告白に対して最大の賛辞が語られ、ペトロに教会の委託と天国の鍵まで授けられるが、マルコにはそれがない。だが安心したからこそ、主は次にご自分の受難への歩みについて語られたのだろう。
◇ところがそれを聞いたペトロは「32b:イエスをわきへお連れしていさめ始めた」。自分で言った「メシア」(救い主)の真の意味が分かっていなかったのだ。主は「33:サタン、引き下がれ」と激しくペトロを叱った。しかしそのような愚かな弟子たちを、決して見捨てる訳ではない。むしろ次に「34:群衆を弟子たちと共に呼び寄せて」言われた、「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」。無理解な弟子たちに、なおも招きを注がれる。
◇私たちにも向けられる「あなたはわたしを誰というか」との問いは、ただ一つの完璧な模範解答を求めているのではない。ペトロの言った「あなたはメシアです」も、言葉は正しかったが、内容的理解は不十分で、彼はその言葉に自分の願望を込めて語っていた。だから案の定、彼は「そんなことおっしゃっちゃいけません」と主の道を阻止しようとする自己中心さを露呈する。しかしたとえ応答が不正解であっても、それでも主は「わたしに従いなさい」とペトロを、そして私たちを招いて下さる。それは信仰の道の歩みの「27:途中」でしかないからだ。
◇招詞に読んだイザヤ55:9「天が地を高く超えているように、わたしの道は、あなたたちの道を、わたしの思いはあなたたちの思いを、高く超えている」。私たちの理解をはるかに超えた世界が、私たちの信仰の旅路の先に拡がっている。そして十字架と復活の主イエスがその道を先立って行かれ、「わたしに従ってきなさい」と招いて下さる。
◇「イエスとは誰か」を問いつつ、問われつつ、ただ主から常に離れずにいることだ。讃美歌338「主よ、終わりまで仕えまつらん。みそば離れずおらせたまえ」。そう祈り続けたい。
(C) Asagaya Church, United Church of Christ in Japan, asagaya-church.com