2010/4/4 復活祭礼拝
「キリストの復活」
牧師 大村 栄
マルコ福音書16:1〜8
◇十字架と葬りから三日目の日曜の朝、女たちは墓が空になっているのを見た。そしてキリストの復活を直感した。「8:婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである」。まったく予想外の出来事であった復活は、「神は生きて働いておられる」ことのしるしだった。この事実に触れた人間の生の反応がこの「恐れ」だったのだ。彼女らは恐ろしさのあまり、御使いに託された伝言「7:あの方は、あなた方より先にガリラヤへ行かれる。かねて言われていたとおり、そこでお目にかかれる」を弟子たち告げることを忘れていた。
◇ガリラヤ、そこは弟子たちが主イエスと最初に出会った場所、伝道のわざに招かれた場所である。しかしその後彼らは神とキリストへの信頼を貫き通すことができず、十字架に引かれるイエスを見捨てて逃げ去った。だが弟子たちに見捨てられた主は、彼らを見捨てない。もう一度「ガリラヤへ行け」とお命じになり、復活の主がそこで彼らと出会って最初の時のように彼らを生かし、用いようとされる。
◇私たちのガリラヤはどこか。私たちが最初に主イエスと出会い、主イエスと共に生きる人生へと召し出された場所。その後、時にはその主イエスを信じ通せない弱さに陥ることもあったが、再び復活の主と出会い、新たな命の目標に向かって送り出され、そのために必要な聖霊の力を得る場所。それは日曜の朝ごとの教会での礼拝に他ならない。
◇ここで私たちは「神は生きて働いておられる」という事実に、私たちの拠点があることを知る。それは私たちの期待通り、予想通りではないから、時には恐ろしい体験を伴う。しかし人間的な期待や予想に破れること多く、期待それ自体持ちにくいような状況にあるときも、私たちの予想をはるかに超えた神の御業があると知ることこそが救いだ。
◇今日から始まる1年間、その確信を復活の朝ごとに与えられ、その復活の主にお会いする礼拝の生活を続けて参りたい。復活の主イエス・キリストは、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28:20)と言って下さる。
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