礼拝説教


2010/5/23 聖霊降臨節礼拝

       「聖霊による教会の誕生」

          

牧師 大村  栄

使徒言行録2:1〜13


◇ 創世記11章のバベルの塔は、人間が神の領域に達しようとする傲慢な企てだった。それによって人はお互いを傷つけ合い、生態系を破壊し、自らを滅ぼす愚かを繰り返す。主がこの企てに「待った」をかけたのがバベルの塔の崩壊だった。それは言葉の混乱という方法で実行された。私たちはその混乱の回復を、ペンテコステの出来事に見るのである。

◇「4:一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」。地中海から中近東まで、各地に離散したユダヤ人の子孫たちが、この日に故郷の祭りに帰ってきていた。そのすべての者に通じた言葉とは、使徒たちが聖霊の働きによって「11: 神の偉大な業を語」った言葉であり、そこにおいて言語の隔てが解消されたのだ。

◇私はかつて教団の派遣で北インドへ行った際、ヒンズー語による礼拝に出席した。タイの山岳民族の村ではカレン語の礼拝に出た。神への讃美や祈りには、言語の違いを越えた信仰によるコミュニケーションが存在するのを確信した。阿佐ヶ谷教会が大島藤倉学園におけるワークキャンプを開始して今年で40年。そこに参加した青年たちは、毎朝の礼拝ほかにおいて、知的障害のある方たちとの言葉を超えた触れあいを経験してくる。

◇ペンテコステに起こった出来事、それは「神の偉大な業」を告げる祈りと讃美の言葉は、それ自体が言語を超えて人の魂に伝わり、人々の心を一つとすることが出来るということの証しだった。ここに、世界と人類の平和を実現する可能性がある。

◇そしてそれを可能にしたのが聖霊であった。聖霊は天地創造において「土の塵」で造られた人間に注ぎ込まれた「命の息」(創世記2:7)である。聖霊は命の原点を支えるものであるからこそ、このような言語の違いを超えた一致をもたらすのである。

◇ ペンテコステに命の息吹なる聖霊によって誕生した教会は、「神の偉大な業」、すなわちキリストを通して示された「福音」の言葉が、言語の違いを超えてすべての人に届くものであり、人を生かすものであることを実証し、それを世界に宣べ伝える。今もこれからも、その業のために用いられていきたい。

(C) Asagaya Church, United Church of Christ in Japan, asagaya-church.com