礼拝説教


2010/8/1 平和聖日礼拝

       「まず行って兄弟と和解せよ—戦争責任の告白」

牧師 大村 栄

マタイ5:21-24、IIコリント書5:16-21 


◇元阿佐ヶ谷教会大村勇牧師は1962年10月に教団総会議長に就任し、1965年9月に、韓国長老教会の第50回総会に招かれて訪韓した。1910年の日韓併合以来、多くの屈辱を与えられてきた「日本」の教団議長が、戦後初めて挨拶に来たのだ。議場では強い反対もあったが、結局謝罪のメッセージは受け入れられた。大村牧師はその際の滞在を通して、韓国の教会が民族の運命を共に担い、民衆を助け起こす責任を担ってきたことを改めて知った。それに比べて日本の教会は歴史に関わりを持たず、時代の問題に対する責任を自覚していないと感じた。

◇帰国した大村議長と当時の教団は、自らの戦争責任を神の前に告白することを決意し、出来上がったのが「第2次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」(教団戦責告白)である。翌年就任した鈴木正久議長の名によって1967年3月に発表された。しかしもう戦後22年も経って、次の時代の波が教会にも押し寄せていた。紛争の中で生じた「社会派」と「教会派」の対立の中で、「戦責告白」は踏み絵のように扱われ、それは今も続いている。

◇伯父は帰国直後10月3日の礼拝で、「まず行って兄弟と和解せよ」と題する説教を語った。「23:あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、24:その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直り(口語訳は「和解」)をし、それから帰って来て、供え物を献げなさい」。日本への「反感を持っている」韓国の人たちとの間で、まずこの「和解」の努力をしないならば、私たちの「祭壇の供え物」(礼拝)は空虚なものとなってしまうと訴えたのだ。

◇その信仰から生み出された「戦責告白」を、私たちは対立の道具ではなく「和解」の道具とし、「悔い改め」のしるしとしなければならない。また社会と歴史に対する教会の責任の表明としたい。

◇ただし「和解」を考える際に、何よりもまず、キリストの十字架において実現した、神と人との和解を決して忘れてはならない。「神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました」(?コリント5:18)。その十字架を仰ぎつつ、和解と平和のために行動する教会を形成したい。

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