礼拝説教


2010/9/12 聖霊降臨節第17主日礼拝

       「喜んで与える人」

牧師 大村  栄

Ⅱコリント9:6〜15


◇ 使徒パウロはⅡコリント8〜9章で献金について勧めをする。その献金は「エルサレムの信徒のための献金」(9章冒頭の小見出し)である。最初の教会であるエルサレム教会は深刻な財政危機にあった。そこでパウロは地中海地方各地を伝道旅行しながら同教会を支援する献金を募り、それを持参した。

◇しかし実は、エルサレム教会の保守的グループはパウロの行う異邦人伝道に反対し、敵意さえ抱いていた。3回目の伝道旅行を終えてエルサレムに着いたパウロを彼らは捕らえ、不穏分子としてローマ総督の法廷に引き渡した(使徒言行録21:27)。そんな関係にあるエルサレム教会のための献金を、パウロは必死で訴える。それは、本当の献金は、その目的に応じて捧げるものではなく、神への素朴な感謝と献身のしるしとして捧げるべきものだからだ。

◇「7:喜んで与える人を神は愛してくださるからです」。献金はその使用目的に応じて捧げるのではなく、神のご用のために、自分の捧げものが用いられることを「喜んで与える 」者であれと言う。 ◇ 「6:惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです」。多く捧げれば多く恵まれるという条件法ではない。私たちは既に主からたくさんの恵みを頂いている。その恵みへの感謝のしるしが献金である。そういう献金をしないなら、それは恵みのむさぼりであり横領だ。

◇そして献金は過去と現在の感謝であると同時に、これからの歩みを主にお委ねする信頼のしるしである。貧しいやもめがレプトン銅貨2枚を、半分残すことも出来たのにそうしないで全部捧げたのは、神へのまったき信頼のしるしだった(マルコ12:41)。財布の中に多く残して人間の力に頼るか、多く捧げて主に委ねるか、そういう信仰の決断の出来事である。パウロはコリントの信徒たちに、主に捧げることの尊さ、豊かさ、それによって与えられる祝福を知って欲しいと思っているのだ。

◇昨日の教区役員研修会、主題は「明日の教会」—教会財政をめぐって—。講師の鈴木功男兄の講演の結論は「教会に帰ろう」。献金も奉仕も、精一杯主に捧げることによって豊かな祝福を与えられる、この世の論理とは違うそのような生き方を示す教会へ帰ろう。そういう喜びへの招きを宣べ伝えよう。

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