2010/9/19 聖霊降臨節第18主日礼拝
「代理の死」
牧師 大村 栄
出エジプト記12:21〜27
◇12 章は「過越祭」の起源を記す。紀元前13世紀、エジプトの奴隷とされていたイスラエルの民は神に助けを求めて祈った。すると神は一連の災害を起こしてエジプト王に民を解放するよう迫った。最後の10番目の災いは、ある夜「エジプトの国中の初子は皆、死ぬ」(11:4)というもの。イスラエル人の家にはその災いを免れる方法が教えられた。「21:家族ごとに羊を取り、過越の犠牲を屠(ほふ)りなさい。22:そして、一束のヒソプを取り、鉢の中の血に浸し、鴨居と入り口の二本の柱に鉢の中の血を塗りなさい」。そうすると災いはその家を過ぎ越した。このようにしてイスラエルの解放が実現した。
◇そのために屠られた羊は、イエス・キリストの予兆であった。羊の血が災いを遠ざけたように、十字架に流された主イエスの血は、滅びからの赦しと解放のしるしとなった。バプテスマのヨハネはイエスを指して「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1:29)と言った。その「代理の死」によって罪の滅びが私たちを過ぎ越し、私たちは罪の奴隷から解放された。そのことを感謝して生きたい。
◇二葉亭四迷(1864〜1909)は、英語の I love you を「おまえのために死ねるよ」と訳した。ちなみに彼のペンネームは、「くたばってしめえ」と父親に言われた経験から自嘲的につけたらしい。生きる価値がないと親に言われた彼が、「おまえのために死ねる」と言うほどの愛を真に実践した人がいたことを知ったら、人生観に大きな違いがあったろう。
◇「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ15:13)と主が言われたのは、実際に死ぬこととは限らない。「時間」(寿命)で数えられる命を、自分で使わないで他者のために献げること、これが「友のために命を捨てること」であり「これ以上に大きな愛はない」のである。
◇ 「27:主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである」との宣言がなされると、それを聞いた「27:民はひれ伏して礼拝した」。「おまえのために死ねる」と言って下さる主がおられることを、いつもこの礼拝で示され、それほどに愛されている者としての希望の内に、新しい人生に旅立っていこう。そして自分も、友のために、世のために命を使いたいと願う者にされたい。
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