2010/10/17 <全家族礼拝>
「心の貧しい人は幸い」
牧師 大村 栄
マタイ福音書5:1〜12
◇「3:心の貧しい人々は、幸いである」。ルカ福音書では「心の」がなくて「貧しい人々は、幸いである」(ルカ6:20)。主イエスの教えはいつも具体的・直接的である。貧しい人、飢えている人、病んでいる人、抑圧されている人について、評論したり議論したりするのでなく、自ら体を張って触れて行かれた。迷子の小羊が悲しくて泣いている時に、主イエス・キリストはどこまでも探し求めて下さる。
◇人間の貧しさ(弱さ)がむしろ大きな喜びを引き起こすという例を、先週世界は体験した。南米チリの鉱山で落盤事故が起こり、地底深くに33人が閉じこめられてしまったが、事故から約70日たった先週の木曜日(10/14)に全員が救出された。無名の炭鉱労働者である彼らに世界中から声援が集まり、それが一つの大きな力となった。
◇ただし主の言われる「幸い」(マカリオス)とは、普通の幸福な状態を言うのではなく、神との関係における祝福を指す。地上の目に見える人間的な幸いはやがて消えていく。しかし神による幸いは、永遠に続く幸いである。「12:喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある」と言われる。
◇その幸いを得るには、貧しく、弱くならねばならない。その貧しさは物質的な貧しさではなく、神にすがるしかない状態のことである。「へりくだり」(イザヤ書57:15)とも言い換えられる。迷子の小羊が帰る道を見失ってただ泣いていたように、チリの地底700メートルに閉じ込められた33人の男たちがただ救出の時を待っていたように。
◇「主われを愛す、主は強ければ、われ弱くとも恐れはあらじ」(讃美歌21-484)。弱いわたし、心の貧しいわたしを、そうだから主は愛して下さる。
◇ジョン・ウェスレーには19人の兄弟がいた。母のスザンナ・ウェスレーは「どの子が一番お気に入りですか」と訊かれて、「病気を患っている子がいる時はその子が一番大事。家を離れて遠くにいる子がいれば、その子が一番愛おしい」と答えた。
◇今日は全家族礼拝。教会は神の家族だ。家族の中に弱っている人がいれば、それを神様は憐れんで下さり、道に迷った者がいればあの羊飼いのように、その一人をどこまでも探し求めて下さる。教会から始まって、世界がそういう神の愛に包まれる、本当に幸いな神の家族となるよう祈り求めたい。
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