礼拝説教


2010/11/28 <待降節第一主日礼拝>

       「信じて待つ日々」

牧師 大村  栄

ルカ福音書21:25〜36


◇ルカ21章5節以下は世の終わりを語る記事で、特に今日の箇所は終わりの前兆を語る。「26:人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう」。しかし、「28:このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい」。逃避するのではなく、しっかりとその日を迎えなさい。なぜならその日は破滅の日ではなく、「27:人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来る」というキリスト再臨の日であり、それによって「あなたがたの解放の時」となるからだ。

◇「32:はっきり言っておく。すべてのことが起こるまでは、この時代は決して滅びない。33:天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」。万一世界の終わりを感じる事態になっても、キリストが告げる神の言葉は「決して滅びない」。それを信じて「28:身を起こして頭を上げ」て待つべきである。

◇マリアは天使ガブリエルから受胎告知を受けたときに、「お言葉どおり、この身に成りますように」(ルカ1:38)と信じて委ねた。そしてエリサベトはそれを、「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」(ルカ1:45)と賞賛した。エリサベトの夫ザカリアはそれとは反対に、天使からヨハネの誕生を予告された時に、高齢の自分たちにはあり得ないと信じなかったために、口が利けなくなった。「時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである」(ルカ1:20)。「時が来れば実現するわたし(神)の言葉」を「信じて待つ」ことが待降節の信仰である。

◇いつになれば神の救いの約束は実現するのか。待ち続ける時間の長いのを感じざるを得ない。34節以下は待ちきれなくなってあきらめてしまうことへの警告だ。私たちは天使ガブリエルが「時が来れば実現するわたしの言葉」と言った神の言葉に聞き続けてその日に備えよう。

◇10人のおとめたちの内、「用意の出来ていた5人」(マタイ25:1以下)は、み言葉に聞く者たちだったと言えよう。「33:天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」。み言葉にこそ「信じて待つ」日々を支える力があるのである。

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