礼拝説教


2010/12/5 <待降節第2主日礼拝>

       「近くにいますうちに」

牧師 大村  栄

イザヤ書55:1〜11


◇「6:主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。呼び求めよ、近くにいますうちに」。イスラエルは今やバビロン捕囚から解放されようとしている。神を近く感じるのは喜びの時だけではない。痛みを通して主にお会いする体験をすることも多い。70年間の捕囚の痛みを忘れない内に、主に帰れというのだ。

◇「7:主に立ち帰るならば、主は憐れんで下さる。わたしたちの神に立ち帰るならば、豊かに赦してくださる」。イザヤはそう告げるが、民は信じない。無償で赦されることはあり得ない。赦しと救いは艱難辛苦の末に与えられるものだ、と考えている。

◇しかし主は言われる、「8:わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり、わたしの道はあなたたちの道と異なる」。主の思いは徹底した赦しだ。無条件に恵みへと招く招きだ。現実はそんな甘くないなどと言って、神の招きを遠ざけてはならない。

◇「10:雨も雪も、ひとたび天から降れば、むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、…」。雨はすべての人に注がれ、地上のすべてを潤す。雨を避けようとするのは無駄だ。この雨は徹底した赦しを告げる「神の言葉」を象徴する。心を開いて雨に身を委ねよう。その時赦しを告げる神の言葉が私たちの中にしみ込み、新しいいのちを与える。神の言葉はそのために私たちに注がれるのである。

◇神が私たちをそこまで赦そうとされる理由が、前半に記されている。それは「3:ダビデに約束した真実の慈しみのゆえに」だ。はるか昔のダビデにおいて、すでに神はイスラエルの民に恵みを与えることを決断し、約束していた。そしてやがて、ダビデの末にメシアを興すと主は約束される。「5:あなたを知らなかった国は、あなたのもとに馳せ参じるであろう」。「あなた」=メシアのもとに神の救いを求めて世界の民が「馳せ参じる」ことになると言う。

◇このイザヤの預言がクリスマスに生まれた主イエス・キリストにおいて実現した。神はそういう壮大な人類救済の計画をもって世界に臨み、いまも大地に降りしきる雨の如く、世界にみことばを注いで下さっている。「3:耳を傾けて聞き、わたしのもとに来るがよい。聞き従って、魂に命を得よ」。

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