礼拝説教


2011/5/15 <復活節第4主日>

       「愛は人を造り上げる」

牧師 大村  栄

Ⅰコリント8:1~13


◇コリントにはギリシャの神々を祭る神殿が林立していた。日本のキリスト者がそうであるように、コリント教会の人々も異教的なものとの接触に悩まされた。その最たる問題が神殿の「偶像に供えられた肉」(8章の小見出し)の問題。供え物の肉は祭儀のあとは市内の市場に卸された。市民が肉を買うと、その多くは偶像礼拝の供え物だった肉なのだ。

◇パウロはこの問題について、「市場で売っているものは、良心の問題としていちいち詮索せず、何でも食べなさい」(10:25)と言い、詩編24:1を引用して、「『地とそこに満ちているものは、主のもの』だから」(10:26)と言う。それが「知識」である。

◇「偶像に供えられた肉について言えば、『我々は皆、知識を持っている』」(8:1)。そして「世の中に偶像の神などはなく、また唯一の神以外にいかなる神もいないことを、わたしたちは知っています」(8:4)。しかし彼は続けて言う。「この知識がだれにでもあるわけではありません」(8:7)。この世界のすべては神に造られたとの知識を持つ私たちは、それによって「自由」を得ている。しかし、「あなたがたのこの自由な態度が、弱い人々を罪に誘うことにならないように、気をつけなさい」(8:9)。

◇キリスト教は「唯一神教」だ。「多神教」と異なるのは誰でも自覚している。しかし、「唯一神教」と似ているが本質は全く違う「拝一神教」とは混同しがちだ。自分はこの神しか拝まないけれど、これが唯一の神であるとの確信はないという態度。それでは本当に人間の根底を支える信仰にはならない。

◇「唯一神教」の確信を持てず、「拝一神教」の段階の人は、異教的なものとの接触を恐れる。お供え物を食べるなんて飛んでもない。そういう人をパウロは「弱い人」と言い、「あなたの知識によって、弱い人が滅びてしまいます」(8:11)と配慮する。

◇どんな知識より大事なのは、神を知ること。それは知的な理解ではなく、神を愛すること。それが人間を根底で支える、本当の知識というものである。「知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる」(8:1)。愛に根付く真の知識が、この世に信仰共同体なる教会を建て上げ、それが世界を豊かにする。

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