礼拝説教


2011/6/12 <聖霊降臨日礼拝>

       「乱れ争う世界のために」

牧師 大村  栄(聖霊降臨日礼拝)

創世記11:1~9
使徒言行録2:1~11


◇バベルの塔の建設は「3:石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを」という技術の進歩によって自信を持った人間が、さらに野望を抱いて、「4:天まで届く塔のある町を建て、有名になろう」と着手した計画だった。文化の行き過ぎは人間を神から遠ざけ、神の領域に達しようとさせる。

◇しかし神は、その人間の行動を阻止する。ご自分の領域が侵されるのを恐れたのではない。そのまま放っておけば自己破壊の道をたどっていく人類に、神はこれを愛するがゆえに介入したのだ。その証拠に、神は塔を破壊するのではなく、人間を滅ぼすのでもなく、「7:言葉を混乱させ」るという方法によって工事を中止させた。行き過ぎた文化に対する神の警告は、その後も世界の歴史に繰り返された。

◇しかし神は警告の先に、希望の道も示された。人間の傲慢に対する神の警告としての言葉の乱れ、対話の断絶、それらが解消される希望が、ペンテコステの出来事において示されたのである。

◇その日「4:一同(使徒たち)は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」。すべての人に通じる言葉が、どうやって語られたかは記されていない。それは問題ではないからだ。しかしそれが何を語る言葉だったかは記されている。「11:(民衆の驚きの言葉)彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは」。「神の偉大な業」を語る言葉=み言葉は一致をもたらすのである。讃美歌21-58「み言葉をください、草におく露のように、いのちの主よ。人と人との心かよわず、乱れあらそう世界のために」。

◇神に頼らなくても、優れた技術や政治や法律で自らを高め、軍備や核兵器で自分を守れると言っている内に、人間はまたバベルの塔への道を再び歩むことになる。すべてのものを造り、これと共に生きる決断のしるしとして御子をお与えになった神に、すべてゆだねていくことが、聖書から学ぶ人類の生きるべき道だ。そのことを語る「み言葉」は、人種や言語の違いを超えて、すべての人の心に届くのだ。この希望を社会に示すことが、教会の務めである。

(C) Asagaya Church, United Church of Christ in Japan, asagaya-church.com