2011/6/26 <聖霊降臨節第3主日>
「広がりゆく神の民」
岩田 昌路先生(講壇交換)
ペトロの手紙一2:1~10
◇「西東京教区の日」の講壇交換の恵みを深く感謝するものである。前任地の大分地区では全20教会の参加による講壇交換が行われていた。各教会の固有な証しに学ばせられつつ、同じ主のもとに呼び集められ、同じ御言葉に生かされている事実に励まされてきた。日本の各地に同じ信仰に生きる主の群れがある。これは教団の教会観を表している。我々も日本伝道の幻に仕える教団に所属する教会である。
◇使徒ペトロは、信仰において目に見えない壮大なものを見つめている。それは「霊的な家」(5節)である。ペトロは各地に誕生した主の群の中に「霊的な家」としての教会を見つめている。これを見るために主に従う者とされ、使徒とされたのだという光栄な思いがペトロにあったのではないか。信仰において神を見つめることと、教会を見つめることは、一つのことである。ペトロは信仰者を「生きた石」と呼んだ。十字架に死なれ、復活された主イエス・キリストという土台とする「霊的な家」に積み上げられる石である。ペトロは主イエスが自分を「岩」と呼んだことを深く思い起こしていたに違いない。
◇我々が「生きた石」として「霊的な家」に造り上げられている壮大な事実を、ペトロは「あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業」と言い表した。暗闇の中から驚くべき光の中へ。主イエス・キリストの福音は人間に一大転換をもたらす。この世には人間を滅びへと引き込む罪と死の暗闇がある。しかし、私たちは暗闇の中にたたずむものではない。驚くべき光の中へと招かれ、その中を歩み続けるものとされている。
◇使徒ペトロは熱い思いを込めて信仰の仲間たちに語りかけている。「あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。」(9節)どれも旧約聖書の伝統を受け継ぐ大切な言葉である。しかし、「王の系統を引く祭司」という言葉が特に印象的である。洗礼を受けたキリスト者は誰もが祭司の務めに生きることができる。主の福音を宣べ伝え、神の赦しと慰めを告げ、驚くべき光の中へ招くことができる。我々もそのようにして広がりゆく神の民の一員なのである。
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