2011/7/10 <聖霊降臨節第5主日>
「生涯の同伴者」
牧師 大村 栄
使徒言行録8:26~40
◇「26:主の天使はフィリポに、『ここを立って南に向かい、エルサレムからガザに下る道に行け』と言った。そこは寂しい道である」。神がみわざのために人を用いられる仕方は不思議である。
◇「27:折から、エチオピアの女王カンダケの高官で、女王の全財産の管理をしていたエチオピア人の宦官が、エルサレムに礼拝に来て、帰る途中であった」。この人物がなぜエルサレムに礼拝に行ったのか不明だが、イスラエルの伝統によると、去勢した男性は「主の会衆に加わることはできない」(申命記23:2)。神に思いを寄せながら、神の民の中に身を置くことができない。そういう寂しさを持ってエチオピアに帰る途中だった。私たちの礼拝でも、様々な寂しい思いをする方があるかも知れない。
◇「28:彼は馬車に乗って預言者イザヤの書を朗読していた」。旧約聖書は離散したユダヤ人のためにギリシア語に訳され、地中海世界全域で読まれた。フィリポは聖霊に促されて宦官の馬車に近寄ると、宦官がイザヤ書を朗読しているのが聞こえたので、「30:読んでいることがお分かりになりますか」と問うた。宦官は「31:手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言い、「馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼んだ」。
◇このように実現する<聖書を囲む交わり>が、教会の交わりの基本である。神殿の儀式的な礼拝には居場所を得られなかった宦官が、<そばに座って>共に御言葉に聞く友を得て、神の民とされていく。組会はそのような場として用いられるだろう。
◇彼が朗読していた聖書はイザヤ書53:7-8の「苦難の僕の歌」だった。宦官はフィリポに解説を乞い、フィリポはその聖書から説きおこして、受難の主イエス・キリストとその福音を語った。宦官はそれによって主イエスとの人格的な出会いを体験し、主と共に生きることを決意して、洗礼を願い出る。
◇「39:彼らが水の中から上がると、主の霊がフィリポを連れ去った。宦官はもはやフィリポの姿を見なかったが、喜びにあふれて旅を続けた」。宦官の旅はもうそれまでのように孤独ではなく、主イエス・キリストと共に歩む喜びの旅となったのである。
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