礼拝説教


2011/7/31 <聖霊降臨節第8主日>

       「勇気を出しなさい」

阿佐谷東教会牧師 坂下道朗

ヨハネ福音書16:25~33


◇「わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。」(16:7)弟子たちにしてみれば、弁護者(聖霊)が来なくても、主イエスと一緒にいる方がよいと思う。12節「しかし、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。」聖霊が来ると、主の十字架の意味もこれまで聞いてきた主イエスの言葉も十分に理解できるようになる。だから「あなたがたのためになる」のである。

◇16章後半の主題は「弟子たちの信仰の完成」。完成に至る大切なポイントの一つは「祈り」だ。祈りについて、弟子たちは主イエス頼みだった。しかし主イエスが去った後には「わたしの名、主イエスの名によって願うことになる」という。それがたとえ幼子のような祈りであっても、聖霊の執り成しによって父のもとへと届けられることを知り、真剣に祈り始める。そこに弟子たちの信仰の成長がある。

◇もう一つは「知る」ことだ。弟子たちにとって主イエスとの出会いは、一方的に与えられた恵みである。時間や空間を共有し、神の救いを教えてくださった方が、天に帰ってしまう。悲しい出来事である。けれども、彼らは聖霊において自分たちと共にいてくださるということを知る。

◇キリストとの出会いは、いつも身近にいなければ意味がないものではなく一度の決定的な出会いが人生を変え豊かにする。もちろん弟子たちの信仰の弱さを主イエスはよくご存じだ。それでもなお主はご自分との出会いが弟子たちを支えると言われる。32節「あなたがたには世で苦難がある。しかし勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」「勇気を出しなさい」という言葉は勇ましいかけ声ではない。私達が人間として強くなれるからではない。主イエスがわたしたちと共にいてくださることを聖霊が教えてくださって、弱い私達もまた強くされる。

◇詩編23編。私達の行く道には「死の陰の谷」としか言いようのないところがある。そこでなお「わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる」と告白しうる道が用意されている。そのような信仰へと招かれていることを感謝し、喜びたい。

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