2011/11/13 <降誕前第6主日>
「泣くよりほかにない」
牧師 大村 栄
出エジプト記2:1~10
◇エジプトで人口が増え続ける優秀なイスラエル人(ヘブライ人)を恐れた王は、産まれた男児を殺すよう命じた。しかしヘブライ人の助産婦たちは「17:神を畏れていたので」その命令に背いた。神を畏れることはすべてに優って、私たちの人生と社会の中心に確立されねばならない。
◇あるヘブライ人の家に男の子が産まれた。隠しきれなくなったので、防水したパピルスのかごにその子を入れ、ナイル河畔の葦の茂みの間に置き、その子の姉(ミリアム)が離れて見守っていた。水浴びに来たファラオの王女がそれを見つけ、「6:開けてみると赤ん坊がおり、しかも男の子で、泣いていた。王女はふびんに思った」。
◇王女は、これはヘブライ人の子と気付いたが、王の命令に背いて、泣いているその子を育てようとする。その時に幼な子の姉が王女に、「7:この子に乳を飲ませるヘブライ人の乳母を呼んで参りましょうか」と申し出て、実母を連れてきた。それによってこの子は、他では代え難い実母の愛の中で育つことが出来た。
◇このように女性たちの勇気ある行動に守られて育ったモーセであった。恐ろしいエジプト王よりも神を畏れた助産婦たち、父でもある王の命令よりも、内からあふれる愛情に素直に従って行動した王女、そして賢い知恵と愛情で幼な子を育てる役目を全うした姉のミリアムと母親。
◇しかし肝心のモーセは何もしていない。彼がしたのは、ただ籠の中で泣いていることだけだった。しかしその泣き声は神が聞いて下さった。赤ん坊の泣き声に寄せた八木重吉の詩がある。「かみさまをよんでるんだよ/みんなもよびな/あんなにしつっこくよびな」。私たちはどんなに立派と言われる信仰や、賢い知恵を身に付けるよりも、素直に神を呼ぶという行為を繰り返していきたい。
◇「泣くよりほかにない」ときがある。「神さま!」とうめいて、ほかに何も言えないようなときがある。しかし神は必ずやその呻きを受けとめて下さる。「今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる」(ルカ6:21)。
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