礼拝説教


2011/12/11 <待降節第3主日>

「草は枯れ、花はしぼむ」

牧師 大村  栄

イザヤ書40:1~11


◇バビロニアがペルシャに滅ぼされ、捕囚とされていたイスラエルは解放された。解放の喜びの中で預言したのが40章以下の第二イザヤである。

◇「1:慰めよ、わたしの民を慰めよと、あなたたちの神は言われる。2:エルサレムの心に語りかけ彼女に呼びかけよ 苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた」。長い補囚の時代は終わりを告げようとしている。この苦役は、神に頼るよりも人の力を頼って国難を回避しようとした不信仰の結果だった。しかしもう充分に、その罪の報いは受けた。今や祖国への帰還の道が開かれる。

◇「3:主のために、荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。4:谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ」。「荒れ野」とは、故郷への遠い道のりであると同時に彼らが歩んできた悲惨な状況を指す。「谷・山と丘」などは、帰還の道を阻む障害である以上に、彼らのこれまでの態度、姿勢そのものだ。今や、主を忘れて荒れ野となっていた彼らの心が開墾され、「山と丘は身を低くせよ」、すなわち高慢は低くされ、「主のために」広い道が開かれる。

◇かくして、「慰めよ」と言われる神の慰めは、み言葉によって私たちを人生と世界の本筋へと立ち返らせる。それを促す「神の言葉」こそが本当の慰めなのだ。「6b:肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。7:草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい。8:草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ」。

◇草や花とは、かつてイスラエルが寄り頼んだエジプトの軍事力や、その結果彼らが拉致されたバビロンの繁栄を指すとも言える。彼らは「草は枯れ、花はしぼむ」という世界の実態を目の当たりにしてきた。しかしその背後にあって、根底を支える「わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ」という確信に立ち至ったのだ。

◇「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない」(イザヤ書40:31)。

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