礼拝説教


2011/12/25 <降誕祭礼拝>

「ここに愛がある」

牧師 大村 栄

ヨハネ福音書1:1~14


◇クリスマスの最大のメッセージは、天使がヨセフに告げた言葉にある。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。この名は『神は我々と共におられる』という意味である」(マタイ1:23)。神は御子を世に与えることによって、世と共にあろうとされた。「14:言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」。しかし民はこの言葉=キリストを拒絶した。「11:言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった」。その拒絶の究極が十字架である。

◇2011年を表す漢字が「絆」と発表された。クリスマスは、神が私たちとの絆を深くして下さった時のように思える。「絆」の漢字は糸偏に半だから、お互いが相手と半分ずつを寄せ合って繋がる結びつきだという解釈を聞いた。「夫婦の絆」という時などはその通りかも知れない。しかし神が私たちと結んで下さる絆は半分ずつのものではない。私たちは全く手を出せないのに、神から全面的に手を差し伸べて下さって成り立つ絆である。この字の語源は「騎綱」、動物をつなぎとめる綱のこと。神は家畜をつなぐように、自らを愛の対象である人間に縛り付けるようにして下さった。それが本当の「インマヌエル」の愛である。

◇「わたしが共にいる/治らなくてもよいではないか。わたしが共にいる/長患いでもよいではないか。わたしが共にいる/何も出来なくてもよいではないか。わたしが共にいる/それでよいではないか。或る晩/キリストがそう言って下さった」(原崎百子「わが涙よ、わが歌となれ」より)。

◇震災の傷跡は深く、放射能汚染の問題は悩ましい。しかし2011年前にクリスマスがあって、そこにおいてキリストを通して神が「わたしが共にいる」と言って下さったのだから、希望はある。

◇「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある」(ヨハネの手紙一4:10、口語訳)。クリスマスはこの愛に身を寄せる時、そしてこれに応える時だ。

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