2012/1/29 <降誕節第6主日>
「神と出会う場所」
牧師 大村 栄
列王記上8:22~30
◇ソロモンは父ダビデ王が築いた王国を拡大し、父がなしえなかった神殿建設を成し遂げた。完成した神殿の中心に置かれた「契約の箱」には「十戒」の言葉を刻んだ石の板が収められた。これは神と民との契約のしるしである。私たちの礼拝の中心にも、約束の言葉「聖書」が置かれている。
◇27節以下は献堂の感謝の祈り。「27:神は果たして地上にお住まいになるでしょうか。天も、天の天もあなたをお納めすることができません。わたしが建てたこの神殿など、なおふさわしくありません」。神殿はもちろん、神棚や仏壇など、目に見える器は神の住まいではありえない。神はどこにでもおられる。むしろ私たちが神の中にいる。
◇その神があえてここにいる(「29b:わたしの名をとどめる」)と仰っしゃる神殿(=教会)とは何か。「28:わが神、主よ、ただ僕の祈りと願いを顧みて今日僕が御前にささげる叫びと祈りを聞き届けてください」。ここは祈りの家であり、祈りは悔い改めである。「30:どうかあなたのお住まいである天にいまして耳を傾け、聞き届けて、罪を赦してください」。悔い改めの祈りが最良の捧げ物である。
◇悔い改めは人生の方向転換だ。神に背を向け、地上の価値を追求する生き方から、神に従い、神に喜ばれる生き方への方向転換。神は地上にそういう悔い改めが起こることを願い、そのための場所として教会を建てることを許されたのだ。
◇放蕩息子の父のように、神は罪人が罪を悔いて帰ってくるのを待っておられる。そして帰って祈るならば、「あなたの罪は許された」と言って下さる。その赦しは御子イエス・キリストの十字架の贖いによって実現した。教会はこのキリストをかしらとする神の宮である。
◇ソロモンは言った。「27:神は果たして地上にお住まいになるでしょうか」。神が果たして地上に住まわれたのがキリストであった。私たちは礼拝において、悔い改めの祈りを捧げ、キリストを通して神から与えられた罪の赦しの宣言を聞く。ここに新しく生きる命を与えられて、一週間の旅路に希望をもって歩み出すのである。
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