2012/3/25 〈受難節第5主日礼拝〉
「キリストの栄光と愛」
副牧師 姜キョンミ
ヨハネ福音書13:21~38
◇主イエスは、これから十字架の死に向かわれます。ユダの裏切りが十字架の死に用いられます。裏切りがなくても、イエス様は十字架にかかって死ななければならなかったですが、ユダが過越の祭りの前にイエス様をユダヤ人たちに引き渡し、裏切ることが、神様のご計画であることは明らかです。イエス様は、過越の小羊として、世の罪を取り除く神の小羊として死ななければならないからです。そして、主イエスの死は教会を生み出す力になります。神に逆らう思いを人々に与え、その思いを行動に移させる教会を生み出すための死、それが十字架の死です。
◇31節と32節に「栄光を受けた」という過去形と「栄光をお与えになる」という未来形が出てきます。この「栄光」とは、イエス様の十字架の死のことであり同時にイエス様の復活のことです。十字架の死は復活の命に繋がります。イエス様の十字架の死の中に復活の命があり、そこに神の栄光が現れ、また神が独り子なる神に与える栄光がある。そして、その栄光において現れ、明らかにされるのは、神の愛です。人を真実に生かす力です。
◇イエス様はペトロを初めとする弟子たちすべてが、聖霊によって誕生するキリスト教会が、神と独り子を通して与えられた愛を、永遠の命の交わりを与えてくださる愛を証しする者たちになって欲しいと願っておられました。だから、弟子たちに向かって「あなたがたに新しい掟を与える。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」とおっしゃるのです。弟子たちの愛の交わりを通して、神の栄光を現すことを主イエスは願っておられるのです。
◇私たちは誰も完全な者ではなく信仰も理解も不完全です。主イエスの言葉も業もなんだかよく分かりません。でも主はそういう私たちを祝福し力づけるために御言を与え、そして全てを用意してくださいます。主イエスとの愛の交わり、主にある兄弟姉妹との愛の交わりを通し、私たちが主イエスの弟子であることが明らかになり、主の栄光が現れます。
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