2012/4/15 〈復活節第2主日礼拝 〉
「だから、落胆しない」
副牧師 加藤 真衣子
IIコリント書4:16~18
◇落胆せざるを得ない現実。さまざまな苦難辛苦。失望・落胆することの多い歩み。にもかかわらず「わたしたちは落胆しない」とパウロは言っているのはなぜか。
◇様々な重荷を自分の力でなんとかしよう、自分独りで背負わねばと、神抜きに自分が勝ってしまう。実はそれが最も苦しい生き方ではないか。救われねばならないことに気付かず、救われて生きる生き方があることを知らずに孤独の中で生きることは苦しいことだ。その苦しみから解き放たれなさい、と主はおっしゃる。
◇「内なる人」とは死者の中から復活したキリストそのかたなのだ。霊において生きておられるキリストが、私たちの内に生きて下さる。どうしてキリストが衰えるだろうか。口語訳聖書では「外なる人は滅びても」と訳した。どうしてキリストが滅びるだろうか。キリストはいつも活き活きと新しく、その復活の命を生きて下さる。造り主なる神から離れて生きている限り、私たちは生れた瞬間から衰えていくだけ。それは老いも若きも変わらず、空しい現実だ。その現実の中に突入してくるキリストの御業を見るとき、その声を聞く時、どうして落胆などしていられるだろうか。主の栄光を反射しながら、主と似たものとされる希望。艱難や苦難がむしろその希望を深めるのだと、聖書は語る。
◇神が混沌とした瓦礫の山に光を投じられる。神が闇を退けられる。光そのものでいらっしゃるキリストが復活なさって、私たちの内に住まいたもう。神が世界を滅びにまかせられないしるしとして、私たちはある。
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