2012/6/3 〈三位一体主日礼拝 〉
「 神を見たい」
ヨハネ福音書14:8~17
牧師 大村 栄
◇主イエスの「決別説教」を聞いた弟子のフィリポが「8:主よ、わたしたちに御父をお示しください」と訴えた。
神を見たいという願いは多くの者の願いだが、神を見た者は死ぬと旧約聖書に記され、昔から叶わぬ願いとされて
きた。しかし創世記32章では、神と格闘をしたヤコブは神の顔を見ても死ななかった。
◇父イサクと兄エサウをだまして長子の特権を奪ったため、家にいられなくなったヤコブは、母リベカの実家で長
年苦労して豊かな財産を得た。故郷へ帰る時が来たが、兄との再会という深刻な課題への大きな不安があった。
◇ある夜彼は何者かと格闘をした。相手によって腿の関節を外されても、ヤコブは「祝福してくださるまでは離し
ません」としがみついていた。相手はヤコブの名を問い、「これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と闘って
勝ったからだ」と言った。彼は格闘の相手が神であったことを確信し、「わたしは顔と顔とを合わせて神を見たの
に、なお生きている」と言い、その場所を「ペヌエル(神の顔)」と名付けた。
◇この神との取っ組み合いとは何だったのか。大きな不安にあったヤコブは、ここで神と格闘するような激しい
祈りをしたのである。主イエスのゲッセマネの祈りを連想する(ルカ22:39-)
◇「神を見たい」という願いは、祈りにおいて実現するのであり、その祈りを成り立たせるために主イエスは神の
御許に帰り、「神の右に座して」私たちの祈りを神に取りなして下さる。
◇ヤコブは祈りにおいて、腿の関節が外れるほどの厳しい体験をした。キリストもゲッセマネにおいて汗の滴るほ
どの祈りをした。しかし私たちの祈りは、「16:弁護者」キリストの取りなしによって、速やかに神に届くものと
なった。
◇激しい祈りの後、不安を乗りこえて故郷へ帰っていったヤコブ、ゲッセマネの祈りの中で、「御心がなりますよ
うに」との全き信頼と、それによる平安を得られたイエス・キリスト、私たちも祈りの中に神を見出し、勇気を得
たい。
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