礼拝説教


2012/6/24 〈聖霊降臨節第5主日礼拝 〉

「かわかない水」

ヨハネ福音書4:1~26

牧師 大村  栄 


◇サマリアの町シカルで、人目を避けて暑い日中に水汲みをする女に出会った主イエスは、彼女に水を求め、そこから二人の対話が始まる。 ユダヤ人とサマリア人の関係は歴史的に敵対しているので彼女は抵抗していたが、やがて相手の不思議な言動に惹きつけられていく。

◇主イエスは唐突に、彼女が人目を避けて暮らしている理由を言い当てる。「18:あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない」。 次々と夫を替え、今は夫でない男と同棲している。キリストとの対話を通して、彼女はそんな自分自身の弱さと罪を直視させられ、 神の赦しと慈しみの恵みにあずかる礼拝に身を置きたいという願いを持つに至った。

◇人は人生の重荷に直面し、救いを求める時に礼拝を求める。礼拝はそういう人の求めに応えるものでなくてはならない。彼女は その大切な礼拝をする場所を問い合わせる。「20:わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所は エルサレムにあると言っています」。主イエスの答えは「21:この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る」。キリ ストを仰ぐ礼拝ならば、いずこにあってもそれは命に満ちた礼拝となるのだ。

◇先週、岩手県釜石の被災者仮設住宅と新生釜石教会を訪ねた。教会がそこにあることが、地域の人たちには慰めになっていると感じた 。教会は支援活動の拠点ともなりうるが、それ以上に、魂の慰めと希望を指し示す礼拝を行うことを通して、人々の求めに応える教会と なれる。

◇その礼拝は、いつ、どうやって可能になるのか。「23:まことの礼拝をする者たちが、霊と真実をもって父を礼拝する時が来る。今が その時である」。このキリストの言葉が注がれる場所においては、いつでも「今がその時である」。

◇それは人間の勝手で宣言されるのではない。「24b:父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ」。神の求め、神の招きによっ てこのことが実現するのだ。神の招きに応えよう。

(C) Asagaya Church, United Church of Christ in Japan, asagaya-church.com