2012/8/26 (聖霊降臨節第13主日)
「効率の悪い仕事」
マルコ福音書14:1~11
阿佐谷東教会牧師 坂下道朗 先生
◇「十字架につけられたキリストを宣べ伝える」(1コリント1:23)のが、パウロ時代から変わらない教会の使命である。しかし、なぜ救いのために十字架が必要なのかを心の奥底から納得してもらうことは難しい。
◇そもそも十字架は死刑台である。14章の冒頭にあるように、十字架刑は「祭司長たちや律法学者たち」の計略によるものである。いわば権力者たちに負けたのだ。社会的に弱い立場の人たちの側に立って戦った主イエスも、力及ばず敗北した。
◇主イエスがシモンの家に滞在していた時のこと。主のもとに名も知られぬ一人の女性がやってくる。そして「純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持ってきてそれを壊し香油をイエスの頭に注ぎかけた」。
◇この女性にとって主は大切な人だった。自分自身を献げるようにして香油を注いだ。ところが周囲の人々は憤慨し始める。「なぜ無駄使いしたのか。高く売って貧しい人々に施せる!」と。これは常識的かもしれない。これは効率を優先する社会の考え方である。
◇けれども主は、この女性の効率の悪さを受け入れておられる。それはイエス・キリストの十字架の死とご生涯にも通じる。これほど効率の悪い人生はほかにないかもしれない。
◇わたしたちを支配している効率主義からすれば、十字架の死という大きな犠牲をなぜ払わなければならないのか、と思う。けれども神様の目から見れば、それは決して効率の悪い仕事ではない。世界の歴史の中で十字架のキリストによって慰められ、励まされ、力づけられ、生まれ変わり、人間らしく尊厳を取り戻し、喜びをもって生きていった人たちが数え切れないくらいいるのだから。私たちもその人々の列にいる。
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