2012/9/9 (聖霊降臨節第17主日礼拝)
「天を裂いて降る」
イザヤ書63:15~19、
マルコ福音書1:9~15
名誉牧師 大宮 溥
◇今日の日本と世界はこれからどこへ進むのか、われわれがそれを担い切れるのかという厳しさを感じさせられる。このような閉塞状態は、ユダヤ人たちがバビロン捕囚から祖国に帰還して暫く経った「第三イザヤ」(イザヤ書56~66章の著者)の時代と似ている。
◇帰還の許しが出た直後、人々は「第二イザヤ」(40~55章)に励まされて、喜び勇んで戻って来た。しかし、現実の故郷は廃墟のままであり、土地は人手に渡り、前の支配者たちは非情であり、彼らは「一方の手で作業をし、もう一方の手には投げ槍を取」った。初めの夢も幻も消えて深い絶望に陥った。預言者は神が天に帰ってしまわれたような不安と悲しみの中で、「どうか、天を裂いて下ってください」と切に祈ったのである。
◇この預言者に神は、今が神の民の訓練の時であり、信仰と愛の共同体となることを待っておられると告げられた。信仰の目を覚ますならば、自分たちの上にすでに神が輝き出ておられるのである(60:1~2)。そして神は先ず第三イザヤ自身を召してこの福音の伝達者とされたのである(61:1)。
◇ルカ福音書4章では、主イエスがこの第三イザヤの言葉を読んで、それが「今日実現した」と語られた。主は、メッセンジャーとしてでなく、十字架と復活によって人間の救いと解放を成し遂げられた。マルコ福音書では主イエスの受洗のとき「天が裂けた」と言う。第三イザヤの祈りが聞かれたのである。
◇3.11震災において、神は魔術師のようにではなく、「人間と連帯された神」として、われわれと共におられた。主イエスは、十字架と復活によって神の国の基礎を築かれた。われわれはキリストによって神の国の民とされ、神の国を築くように召されている。3.11震災は、人間の限界と共生の道を教え、敬神愛人の神の国のヴィジョンを与えたのである。
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