2012/9/16 (聖霊降臨節第18主日礼拝)
「未来を切り開く涙」
創世記43:1~14
牧師 大村 栄
◇中近東一帯を飢饉が襲ったが、ヨセフの能力によってエジプトには食糧が備蓄され、周辺諸国の民もそれを求めて集まった。ヨセフをかつてエジプトの奴隷に売り飛ばした兄たち10人もそこへ来た。総理大臣になっていたヨセフは、もう一人の弟を連れて来なければ食料は渡さないと言う。しかし父ヤコブは末息子のベニヤミンは絶対行かせないと言う。
◇飢饉はひどくなり、父は息子たちに再びエジプトへ食料調達に行くように命ずるが、息子たちは弟を伴わなければ行かれないと反発する。父がベニヤミンを手離さないのは、過去にヨセフを失ったという傷を負っているためだ。二度とあんな目に合いたくない…。彼は過去の災いに心を奪われていて、現実に対応することができなくなっているのだ。
◇その壁に穴を開けて、未来を切り開いたのは四男ユダの発言だった。ベニヤミンを連れて行って、もしもその身に何かが起こったら「9:わたしがあなたに対して生涯その罪を負い続けます」。この自己犠牲によって「過去の優勢」が崩れた。父ヤコブもエゴと執着からの解放され、神への信頼を回復していく。
◇一人の自己犠牲と生命の提供によって、過去の優勢が崩れ、未来が切り開かれていく。「自分の生命の提供、これがクリスチャン・ライフである」(塚本虎二)。これを座右の銘にしたのが岩村昇医師であり、そのことを教えて下さったのは故左近淑先生だ。未来を切り開くために、生命を提供した人々である。
◇提供された最も尊い命は、十字架に死んだ神の子キリストの命である。過去の罪の重荷を切り崩して、未来の到来を約束したキリスト。しかも肉体の死を越えた、永遠の命を生きる希望をそこに与えて下さった。
◇ヨセフは自分を悲劇に陥れた兄たちとの再会において、恨みごとを言うのではなく、これまでの自分の人生のすべてが、神によって民の未来を開くための備えだったと知って、兄たちの前で男泣きに泣く。神によって開かれた未来を見出す人に、恨みや憎しみを超えた、和解と感動の涙が与えられるのだ。
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