2012/9/23 (聖霊降臨節第19主日礼拝)
「主はわが羊飼い」
ヨハネ福音書10:7~18
牧師 大村 栄
◇「主はわが飼い主」。私たちは愛の飼い主に所有され、身を委ねようとしている。しかしなかなか完全に自分を明け渡すことが出来ず、自分自身の願望に負けて思うままにしてしまう。その結果、他者との関係を失って孤立する。そういう「関係喪失状態」は、本当の意味で「生きている」とは言えない。そうなってしまうことを聖書は「滅び」と言う。
◇キリストが来られたのは、自己絶対化によって滅びに陥る人間を救うためだった。命を造られた神との関係を回復することによって真に命を生きる者とするために、主は自らの命を十字架に差しだされた。「10:わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである」。だからキリストを「わが飼い主」とする者には恐れがない。あるのは命だけだ。詩編23:4「死の陰の谷を行くときも/わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる」。
◇「ハイデルベルク信仰問答」の問一「生きている時も、死ぬ時も、あなたのただ一つの慰めは、何ですか」。答「私が、身も魂も、生きている時も、死ぬ時も、わたしのものではなく、私の真実なる救い主イエス・キリストのものであることであります」。この方に所有される喜びを生きる者の群が教会だ。
◇「16:わたしには、この囲い(=教会)に入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない」。囲いの外の羊にはどうやって語りかけたらいいのか。社会問題学習会や音楽や美術などの文化的活動によってか。しかし「16:その羊もわたし(=キリスト)の声を聞き分ける」。外の人にはキリストの言葉は通じないと諦める必要はない。むしろ神の言葉こそがすべての人に通じる言葉なのだ。
◇「16:こうして羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる」。この一人の羊飼いなるキリストによって、世界が一つの群れとなる希望を告げる教会でありたい。
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