2012/11/11 <降誕前第7主日>
「主の道をまっすぐに」
マタイ3:1~12
牧師 大村 栄
◇洗礼者ヨハネの第一声、「2:悔い改めよ。天の国は近づいた」。それはイザヤの預言の成就であった。「3:荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ』」。これから来られる救い主を迎える道を整えよ、と叫ぶと共に、それ以上に、私たちの心の中にある道を主に向かって「整え、まっすぐにせよ」と命じている。
◇放送局が大切な番組を放送しても、その波長に合わせなければ受信出来ないのと同様、心の向きを神の方向に変え、神のみ声を聞こえるように整えていくのが「悔い改め」である。これまで地上のことに向いていた人生の方向を、キリストの到来と共に近づいた神の国へ方向転換をするのだ。
◇「7:ファリサイ派やサドカイ派の人々」も洗礼を受けに来たが、ヨハネから「蝮の子らよ」と激しく批判される。彼らは「9:我々の父はアブラハムだ」などと民族や血筋を誇りとしていた。そういう誇りを捨て、自分の無力さ、貧しさを知って神にすがっていくのが真の悔い改めである。
◇ヨハネの予告通りに来られたキリストの第一声も、ヨハネ同様に「悔い改めよ。天の国は近づいた」(4:17)だった。そして、キリストはあらゆる場面で、繰り返し悔い改めを説いた。自分の罪人としての弱さや限界を知った人が、悔い改め(方向転換)によって新しい命を得て、神の国の一員とされる。その良き知らせ(福音)を宣べ伝えるのが「伝道」の基本である。
◇「伝道」は道を「伝える」ことであると同時に「伝わる」ことでもある。「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」とは、まずは自分の内に「主の道」を敷き、そこをしっかりと歩むことだ。
◇「私が知りたいことはただ一つ、それは天への道である。神はそれを一冊の書物の中に書きつけてくださった。ああ、その書物を与え給え!いかなる値を払ってもよい……私をして一書の人たらしめよ」(ジョン・ウェスレー)。
◇この一書(聖書)は読んで「天への道」をたどるのは孤独な旅ではない。共に歩む仲間がおり、群れがある。それが教会である。一人一人が心の道筋を主に向かってまっすぐに整え、やがて主の御国へと帰って行く時に備えて祈りを合わせて、共にこの世の旅路を歩むでありたい。
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