2012/11/18 <降誕前第6主日>
「敵を愛しなさい」
マタイ福音書5:38~48
牧師 大村 栄
◇2001年9月11日、アメリカの同時多発テロは、憎悪には憎悪を、やられたらやり返せよいう風潮を巻き起こした。聖書にも「38:目には目を、歯には歯を」と書いてあるではないかと言われた。出エジプト記21:24の律法の引用だが、その元は紀元前17世紀「ハムラビ法典」の「同害報復法」で、目をやられたら目だけ、それ以上やってはいけないという、復讐の連鎖を避けるための知恵だった。しかしそれでは真の解決にはならない。
◇主イエスは律法を超えて「39:だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」と言われた。攻撃に対して反撃するのでなく、これを受けとめて無抵抗でいる時、そこに根本的な解決の道が開かれる。この言葉はM・L・キング牧師やガンディーなど、多くの人々に影響を与えた。
◇水曜の祈祷会、先週の50章で創世記を読み終えた。かつて兄たちに憎まれてエジプトの奴隷に売られたが、後に総理大臣となったヨセフ。その父ヤコブが死ぬと、ヨセフの兄たちはヨセフに、昔の仕返しをされるのではないかと恐れた。
◇しかしヨセフは兄たちに言う、「19:恐れることはありません。わたしが神に代わることができましょうか」。過去の悪を忘れるのではないが、それに報復をする権利は自分にないと言う。ローマ書12:19「復讐はわたし(神)のすること、わたしが報復する」。報復権は神にのみあるのだ。
◇続いて「20:あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです」。私たちが今「悪」と判断するものが本当に「悪」なのかどうかは、神の最終判決に委ねるべきだ。人間の企んだ「悪」も神によって「善に変え」られる。私たちが「悪」をもって「悪」に報いようとするなら、それは神の偉大な計画を阻止するものであり、「神に代わろう」とする傲慢不遜な態度であると言わざるを得ない。ヨセフは神の前に謙遜にひざまづくことの出来る人だった。
◇真の和解が成り立ったのは、むしろ父が死んでからだった。肉の父は死んだが、天の父のみ前に共にひざまづくことによって、ここに真の和解が成立したのである。ここに「汝の敵を愛せよ」との主イエスの言葉が、真に指し示す方向がある。
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