礼拝説教


2012/12/23 <降誕祭礼拝>

「神われらと共にいます」

マタイ福音書1:18~25

 牧師 大村  栄


◇ヨセフに注がれた言葉、「23:見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」は旧約イザヤ書7:14の引用である。紀元前8世紀、戦乱の時代に預言者イザヤが民に語った希望の言葉だった。「インマヌエル」は「神は我々と共におられる」の意味だ。

◇人は誰かを愛する時、その人のそばにいたいと思う。その人と苦楽を共にしたい。混乱した世界でも、神がこれを愛し、共にいると言って下さるという愛のメッセージの見えるしるしとして、イザヤから800年後に御子が世に送られた。絶望的な気分におちいる時も、私たちは神に、「一緒にいたい」と思われているのだと知って、世界は絶望から希望によみがえっていくのだ。

◇12月9日(日)~11日(火)に仙台と石巻を訪ね、震災被災者支援のために教団が置く拠点を視察した。石巻では阿佐ヶ谷教会員の飯野久美子姉が専従となって奉仕している。被災地の人々が憂えているのは、自分たちのことが忘れられていくということだ。世界は神が覚えて下さり、「共にいる」と言って下さる世界だ。私たちも互いを覚えていて、「共にいる」と言い合える社会でありたい。

◇阿佐ヶ谷教会が創立した88年前の1924(大正13)年は、関東大震災の翌年だった。都心から避難してきた方たちに平岩牧師は福音を語り、それがこの教会となった。そのことを覚えていたい。

◇水曜の祈祷会で読んでいる出エジプト記。先週19日に読んだ3章は、指導者に選ばれたモーセが神に反論する場面だ。「11:わたしは何者でしょう」。どうして私に、そんな大きなご用が出来ましょうかとためらうモーセに、神は「12:わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである」。「共にいる」神は、私たちを静止した状態に置くのでなく、それぞれの場所へと「派遣」して送り出すのだ。

◇驚きと恐れに立ちすくんでいたヨセフとマリアが、天使の告げる御言葉によって変えられ、神の御業に用いられていったように、私たちも神のご用のために、み言葉の礼拝から派遣され、それぞれの持ち場へと、そしてこの時代の課題へと送り出される。そんな私たちの合言葉は、「インマヌエル、神は我々と共におられる」である。

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