2013/5/19 聖霊降臨節礼拝説教
「50日目の出来事」
主任牧師 大村 栄
使徒言行録2:1~13
◇復活後の主イエスは昇天に先立って「あなたがたは間もなく聖霊による洗礼(バプテスマ)を授けられる」(1:5)と語られ、昇天から10日目の「五旬祭=ペンテコステ」に聖霊が降った。
◇「聖霊によるバプテスマ」を強調するペンテコステ派は、「聖霊のバプテスマ」を受けた者は必ず「異言」を語るものであり、その異言のルーツが、ペンテコステに弟子たちが、学んだことのない他国語を語り出した現象だと言う。
◇しかし私たちは「異言より理性」(Ⅰコリント14:18-19)とのパウロの立場に近い。「使徒信条」で「我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず」と唱えるが、「聖霊」とは「聖なる公同の教会」以下のものを存在せしめ、実現させる力であり、「それを信ず」という信仰が、「聖霊のバプテスマ」によって与えられるのだ。
◇五旬祭、ペンテコステとはイスラエルの三大祭の一つで、最大の祭の「過越祭」から7週を数えた49日の翌日。「四十九日」と言うと、仏教では死者の成仏を祈願して、遺族が法事や追善供養に励む期間。キリスト教にはそれがないが、故人とその信仰を偲ぶ「記念式」は行うことがある。最期の晩餐で主イエスが、「わたしの記念としてこのように行いなさい」(Ⅰコリント11:24)と言われた「聖餐式」が、キリストにおいて眠った人々のための最良の記念式である。
◇「あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです」(同11:26)。「主の死」を味わうことによって、併せて愛する者の死を受容し、同時に主の復活の光の中に、愛する者の命を望み見、新しい命を仰ぎ見るのである。
◇それが私たちの「50日目の出来事」としての「ペンテコステ」であり「聖霊のバプテスマ」を受ける体験である。しかし50日に一度でいいとは言わない。五旬祭は「巡礼」を伴う祭りだが、私たちは週に一度、七日ごとに「巡礼」としての礼拝出席を繰り返す。聖霊による再出発を、「50日目」ではなく「7日目の出来事」として毎週繰り返し、重ねていく恵みの生涯をご一緒にたどりたいものである。
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